以前は非二元について、理解したい思いが強かった。
でも非二元は頭で理解できる物ではないと言う思いも強かった。
さてそもそも現実の生活の中には非二元を持ち出せる場があんまり無い。
現実感のないモノを空想するよりも
楽しいことを空想するほうが幸せだと気がついた。
私は今、毎日が幸せで、この「毎日幸せになりたい」と言うことだけは
確実に現実になった。
簡単な方法だけれど、なかなかコツが必要だったし、
少し現実を変えることも必要だった。
「私は掃き溜めではないのだから、自分の怒りを
私を利用して私に投げ捨てないで」と何度言っても分かってくれなかった夫と
距離を置くことにした。
週6日の別居生活はなかなか良いものだ。
なんちゃってだけれど、自分の人生を取り戻した感じがする。
現実を少し変えるだけで効果は劇的だった。
また私はどうしたら思考を使わないで生きていけるかを
思考を使って考えてみたところ
この世界は所詮自分の思考によって勝手に解釈された世界なのだから
思いっきり自分に都合の良い解釈をこの世界に与えようと思った。
何でも悪いほうに考える人と、良いほうに考える人がいるとする。
悪いほうに考えても良いほうに考えても
起こっている現実は大概中立なので、大した違いは無いはず。
それならいっそ何でも良いほうに解釈したら良いのじゃないかと言うより
いっそ何も思考しないことにしてみた。
私は好きな人がいる。
出会ってから6年半になる。一目惚れだった。
現実には付き合っていないけれど、彼も私の事が大好きで
ちょっとした仕草でそれが分かる。(と思うことにする)
でもストーカーみたいな事は決してしない。
だからいつまでもその関係が壊れたり、進展したり、トラブルになったりしない。
それが現実のことであろうが無かろうが、あんまり関係ない。
しかも大事なのは相手ではなくて、私が彼を好きだという点。
これは絶対必要条件だ。
そもそも誰かを好きだなんてこんなに幸せな事は無い。
滅多にこんなことは起こらないのだから
わざわざネガティブな妄想で嫌いになる必要は無い。
私はいつでも私の思い込みの中に生きているのだから。
また、たとえ夫でも子供でも、私の世界に入り込む事はできないように
私も彼らを自分の都合に合わせてコントロールしたりしない。
それに好きな人がどこで何をしようが彼の自由だし詮索もしない。
そんな毎日を過ごしている内に、
他人に対する苦しさや疑心暗鬼や悲しみや落胆が薄らいだように思う。
そもそもあの彼は私の中のこの彼では無い可能性が大きい。
誰かが「それは幻想だよ」と言おうが一向に構わない。
この世界は私の幻想でできている。
だからあの彼にはなるべく長生きして欲しい。
それがたった一つの望みかな。
こういうことは私には簡単だけれど他の人にできるかどうかはわからないから
参考になるかどうか分からない。
また自分の思い通りに現実がならなくても、あるいは計画通りに行かなくても
はじめから「まあ、この世はそんな物なのだな」と素早く、あきらめることにしている。
あきらめるとは「明らかに見る」ことらしいから・・・・。
これも随分役に立っている。
そう思えるかどうかが問題かもしれないが・・・・?
私は単に段々頭のおかしな人になりつつあるだけなのかもしれない。