いきなりだけれど、
この世から悪人がいなくなったら、警察や裁判所は
用済みになるのかな。
そんな世界になってほしいけれど、そこで働く彼らは職業替えしなくちゃならない。
でもきっと自分が働ける間はそんな世の中にはならないと思っているのかな。
もしかしたら、まさかと思うけれど心の奥では、駐車違反やスピード違反が
無くなっちゃったら困るなあとか、思ってないよね。
この世から病人がいなくなると医者はどうするのかな。
この世から虫歯がなくなったら歯医者はどうなるんだろう。
治療したいのに患者がいないなら、
やっぱり少しは患者を残しておきたいかなあ。
予防医学に転向するのかなあ。
訴訟がなくなったら弁護士はどうなるんだろう。
悩んでいる人がいなくなったらカウンセラーはお役御免だろう。
和尚は「彼らは深いところでそういう人を作り出す」と言っている。
さて、近頃はエゴや自我、思いや意識、過去生や霊魂や
心や、感情など、私が当然あると思い込んでいたし、
そう教えられたような事柄が段々と私の中で怪しくなってきている。
でもこれらはみな全て幻想だなんて友人たちは言う。
「私」という個人そのものも「ない」と友人たちに常に言われてしまうのだ。
そんなあほな!
でも私は何でできているのだろう。
私という目に見える体以外に、私を証明できるものは何だろう。
どこを探せば「このユニークな世界に一人だけの私」が
存在すると言う証明ができるのかな。
4月から放送大学に入学して、入学式の記念講演を聴いたが
学問とは妙なもので、ちょっと思いをめぐらせてみれば
体験的に知っているようなことでも
データーを取って理論的に証明し、論文の形を取っていなければ
大昔の定説を覆すことができない。
私は子供の頃からダーウィンの進化論はかなり疑いを持って
斜めに聴いていたから、行動経済学の講義でダーウィンの名前が出たときには
本当にびっくりした。
ダーウィンの進化論を人間の経済活動に当てはめて
「人間は利得を考えて経済活動をする」と言う学説が
最近までなかなか覆されなかったと言うのだ。
日常そんなことは無い。
つい目先のことに流されてとか、可愛いから高い方を買うとか、
いくらでも日常の生活の中で
非合理的、感情優先の買い物のエピソードは出てくるのに・・。
やっと行動経済学と言うジャンルが確立されたのは最近の事らしい。
私も私自身を自分で証明できなければ科学的に存在できなくなってしまう。
こんな事では先が思いやられる。
ストレスが増えそうで怖い。
友人は大学を早くやめろと言うけれど、おかしいなって、
いちいち胸につかえて、引っかかりそうだけれど、
それも面白そうではある。