友人の、結婚当初から同居している、お姑さんが、少しずつ、体調不良になってきた。

お姑さんは東京の女子大を出て、裕福に暮らしてきた医者の娘で、某大会社の重役夫人だった。

はたから見ても、上品で優しいお姑さん。

友人はお姑さんが大好きで結婚を決意し、同居も友人の希望だった。

今でも彼女は「お年よりは生き仏様だから大切にしなさい」と言われた言葉の通り、介護している。

でも、ストレスがとても大きいみたいなのだ。

それはお姑さんの言動が、以前では考えられなかったようなものに変化しているせいもあると思う。

小さい頃から植えつけられた、「観念」が少しずつとれて、生身の「人間」に戻りつつある。

「こんな方ではなかった」と言う新しい発見が日々あるらしい。

もちろん、して欲しくない事も増えてきている。

だから、毎日がぴりぴりしたものになってきている部分も大きい。

例えば、「徘徊」

あらゆる出口のカギを頑丈なものに取り替えてしまった。

窓のサッシごとはずして出ていたと言って、サッシが2重になり、簡単に持ち上がらない重いものに替わった。


本人は自分の本当の気持ちに気がついていないのか、気がつきたくないのか、多分、知りたくないほうの気持ちが勝っているのだろうと思う。

「お姑さんのため」と言うのだが・・・。

自分の心を判断せずに見つめるのは苦しい。

他人の言葉が自分の本心と同じとは限らない。

いつまで自分にうそをつくつもりなのだろう。

自分の心と仲良く同居できていたら、あんなに毎日、様々な出事を作って、家を空けたりしなくて済むのだけれど。

他人のことはよく分かるのに自分のことは難しい。

本心に気が付いた時、夫との関係性も、今の生活も、決して、安泰ではない事を彼女の心が察しているのだろう。

いつも「真言密教」の女性の所に相談に行っているが、お金をもらって、相談に乗っている人は、決して、本当の事を言ったりしないだろう。

その場限りの気休めを言い、「あと少しの命なのだから大切にしてあげなさい」と言うのだ。

この世が苦しみに満ちているのは、自分の本心を観ないで、外側を、取り繕うからかもしれない。