近所の女性2人と話す機会があった。


Aさんは50歳になる前に夫を亡くし,3人の子どもを抱えて実家の姓に戻ったが夫と暮らしたある町にずっと住み続けて50年程になる。 


Bさんは生まれてからずっと実家で暮らす70過ぎの女性だが子どもも孫もすぐ近所に暮らしている。


さてAさんはこの地に店を出したばかりの私に実家の自慢、自分の人生の苦労など自分の事を話し始めた。


私は人が「自分の人生が大変だった」とか、「実家は由緒ある家柄だ」と言ったところで「そうなんだ」「大変だったんだ」「聴いてほしいんだ」「この事が自分の心の支えなんだ」ということ意外あまり感想はない。



この町は言わゆる過疎、お年寄りの多い町。しかも平安、鎌倉時代からの記録の残る町でその頃からの末裔ばかりの小さい町。


Aさんが帰った後、日頃温厚なBさんが「あの人は町中の嫌われもん」「相手にせんでいい」と言ったのだ。


私はとてもショックを受けた。「50年も暮らしてきたのに溶け込めないのか、そんな土地柄か」「Aさんの性格がそう人に言わせるのか」


この町は又別の顔も持っている。

ハンディのある子どもたち、大人たち、お年寄りのためのたくさんの施設が集まっていて新しい住人になっている。その人たちに対してみんなとても優しい。


Bさんだって私のような新参者にもハンディのある近所の人にもとても親切。



Bさんの生い立ちも聞いた事があった。父親は戦死し母の手一つで育てられ、最近は夫も母親も亡くされている。


子どもの内1人は脳梗塞で解雇になり妻子と別居している。


人は自分が一番かわいい。誰よりも自分をかわいがってほしい。自分を認めてほしい。でもなかなか自慢できるものがない。プライドを傷つけられるのも腹立たしい。


だから傷つけあう。


でもプライドがあるのが自分、人を傷つけても傷つけられるのは嫌なのが自分。一生懸命ガードして肩肘張っているのが自分なのだ。

みんな同じ。


さてAさんは毎日嫌われる努力をし、Bさんは人気がある。


二人の人生はとても似ているのに・・。


違いは重さ。

Aさんは自分の言動が引き起こす相手の内面に関心が持てない。その分相手を重くさせる。


今は自分を守ることで精一杯。


Bさんはそういう言動が人から嫌われることを知っていて、無意識に自慢話をする事がない。


人に嫌われたいならとことん他人に無関心になるといい。


好かれたいなら相手のことだけしか感じられないくらい自分の守りたいものを「見つめる」といい。


するとその内、いかに自分が人に好かれたいために、じぶんをコントロールして生きているか見ることになる。


そして「好かれるために努力する人生」も消えてなくなる日が来るかもしれない。


なぜなら「見られてしまったエゴは軽く小さくなってしまう」から。