ご近所さんで同じ頃に出産し、子どもも同級生、昔の私の華道のお弟子さんと言う女性がいる。
また、しばらくその方に息子がピアノを習っていた。
と言うことはかなり付き合いが長く、あまり友人のいない私にとって関係性も深いといえる。
少し前に彼女が腰を悪くした時も私の気功の先生を紹介したところ、1回5000円かかる治療なのだがしばらく通っていた。
その彼女が胃潰瘍になって2ヶ月、大量の薬を飲んでいる。
人間の意識と肉体は堅くつながっているように見える。
胃潰瘍になる要因の一つは「ストレス」が考えられる。
しかし彼女はなかなかストレスを「感じる」ことができない。
ちょっと深いところの彼女は人が苦手。
でも、だからこそそんな自分を見せまいととても人当たりがよくていつも面白いことを言って笑わせようとする。
同居のかなり物忘れがひどくなっている姑のことや、入院中の舅のことも、受験生の娘のこともまったくストレスじゃないと言う。
しかし毎日のように病院に看病に行っているのだ。
日常の生活がハードになっている。
人が自分の環境を感じていながらうまく対応するのと、まったく感じようとしないのでは大変大きな違いがある。
どんなにつらい現実でも、超えられない苦しみはない。
子どもを亡くした悲しみも時が経てば笑える日も来る。「実感です」
しかし感じなくした感情の代償は大きい。
彼女に自分の「エゴ」を満たしつつ、エゴを手放す道があることを伝えたいが
とても難しい。
いかに多くの人が「いい人」になるために自分にうそをつき、自分を偽って生きているだろうか。
決してそんな日常からは「本当に」人を愛する人にはなれないような気がするのだが。
なぜならこの世を生きるために一番大切で、あるいは人を愛する自分になるための道具として働いてくれる、自分の肉体の声を聞く感受性を押し込めて生きているから。
そして大切なのは愛している振りではなく本当に人を愛すること。
そのためには自分は自分のエゴ以外に何者も本当は愛してなどいないと言うことに気がつくことなのだが。
時期の来ていない人には決して何も言うまいと誓ったこともあったがどうしよう。