「あの世に聞いたこの世の仕組み」 の感想を書いてみたい。


映画マトリックスの中で人間が夢を見ている。

無数のカプセルに水が入っており、一人ひとり自分の人生を夢見ている。


その間、人間の生命エネルギーを吸い取られている。


カプセルで生きることを拒んだ人間たちはぼろをまとい、命を賭して、エネルギーを吸い取っている何者かに戦いを挑んでいる。


このようなシーンが「荘子」を連想させた。


荘子は「第二 斉物論」の中で自分が蝶の夢を見ているのかそれとも蝶が荘周になった夢を見ているのか、わからない、しかし確かに区別はあるはずである、にもかかわらずその区別が付かないのはなぜだろう。


他でもないこれが物の変化というものだといっている。


荘子の中で最も気に入っているフレーズ。


さて私は昼間現実を生き、夜、非現実の「夢」を見ているが、私の思考や感情に影響を与える度合いがどちらも大差ないことに気付いた。


たとえば恐い現実に出会った昼間の私と、恐い夢を見た私はまったく同じ反応をするのだ。


私の反応はどこから来るのか。

日々の習慣、育った環境、体質など、どれも私が生み出したものではなくいずれも先天的、後天的に身につけたものだ。


果たして私だけの固有の特別の何かがあるのかとずいぶん考えたが、まったく見当たらなかった。


今日見た「あの世に聞いた・・。」のブログの内容。


私の中心  「真我」は  「空」     からっぽ。


と言う言葉がすっと入ってきた。


思わずにっこりしてしまった。


「そうだよねえ」


そこまで感じることができないうちは、あなたはあなた、私は私。


決して分かりあうことはできません。


星の王子様みたいに一人の星に一人の私。

サンダルウッドの玉手箱