シリーズにするとテーマがあって書きやすくていいですね😆🍀
第1回は優先順位を流動的に考える
第2回は家族にとってよりよい家族形態を流動的に選択する
という内容で書きました。
さて、第3回は何を書こうか…
家庭での私の役割はいくつかあります。
・娘
・妻
・母
経歴の長い順(笑)に並べてみましたが、私はこの3つの立場があります。
発症当時は娘という立場だけでした。
今の主治医に出会った頃結婚して妻という役割が足され、娘たちが産まれて母という役割が増えました。
今日は【むすめ】という立場において、どうバランスをとっているのかについて書こうと思います。
私はひとりっ子で、小さい時から両親の愛情いっぱいで育ちました。
実家が苦手という方も結構いらっしゃるようですが、私は家が大好き(笑)
両親のことも大好きだし、いい距離感だと思います。
昔は過保護だった母も、今も世話焼きではありますが口うるさくは言われませんし大人として一応扱われてると思うのでいい関係だと思います。
私が体調をぐっと悪くしたのは大学5年生の時で、この頃は母だけ先にこちらに来ていて二人暮らしでした。
この頃の母の負担は近年に見ぬ負担だったと思います。
それは心身ともにという意味で、です。
今、私が母という立場になって見える娘という存在。
かけがえのない、自分より大切と思える唯一の存在です。母にとって私もそう。
その娘が意味の分からない病気になり、あれよあれよという間に杖を使い車椅子に乗るようになった。
薬のせいでほぼ起きていられないけどやや興奮気味。
私が母の立場ならもっともっと取り乱していたかもしれません。
母は私を支えてくれましたがだいぶ痩せてしまいましたね、今は戻ったけど(笑)
親っていうものは子供に〇〇でいてほしいと願うものです。
人間って欲張りだから、その願いが叶うと当たり前になって更に上を求めます。
生きていてさえくれれば
という願いは
元気でいてくれれば
となる。
次は勉強ができたら、スポーツができたら…とどんどん条件が上がっていきます。
それが病気によって、今度は条件が下がっていくんですね。
つまり、親にとっての喪失体験となります。
これ、本人以上に実は辛いんじゃないかなと思うんですね。
いや、本人の辛さはもちろんなんですが…親ってそういうものなのかなと。
わが家で言えば、私の喪失体験より母の方が辛かったように思います。
代わってあげたくても代わってあげられない。
辛さを理解しきれない。
そういうことが、親の喪失体験を強くしているのではないかなと想像します。
私は両親によって育まれた自己肯定感や母の存在、友人の支えや医療者の理解もあって
私はとっても前向きに闘病できていました。
その姿勢は少なくとも母にとって支えだったかもしれないですね。
もし、私が母の立場だったら…
もう治療のためならなんでもしたでしょうね、母が私にそうしたように。
でも、母ほど強くいられるかは分かりません。
娘としての立場として。
離れて暮らしている分には詳しいことが分からなくてかえっていいのかもしれません。
余計な心配かけないですからね。
私の場合は一緒に住んでいて全て分かってしまう状況でしたから、
私としてやっていたことは母の気持ちに寄り添うことでした。
感謝の気持ちを伝えて、母の辛さを理解しつつ母が責任を感じる必要はないことを伝えました。
現在ですが…
元気になって、むしろ素直に甘えられるようになりました。
体調悪かった時の方が気を遣っていたかもしれないですね、ダメじゃん。
でもそれは、私の体調が良くなってきて、色々と取り戻せたことで、母も同じように失ったものを取り戻せたからかもしれません。
私の回復とともに母の笑顔も増えたし、元気になりました。(体重も戻りました)
だからこそ、今はお互いもっと素直に支え合えてあえるのかなと思います。
親子関係でそれぞれですが、やはり闘病というイベントによって関係性は変化します。
その変化が関係性をよくするか悪くするかは元々の関係にもよると思います。
大変な時だからこそ、身近な両親に支えてもらえたことはわたしにとって大切なことだったし、今もとても感謝しています😊
さぁ、今日も空を見上げて…