龍鎮神社と水 | 日日是幸日

龍鎮神社と水

先週の大神神社の朔日参りで、末社の貴船神社に参拝中、
ふと「龍鎮神社(りゅうちんじんじゃ)」のことが頭に浮かびました。


日日是幸日
  大神神社末社 貴船神社


いつも直感のおもむくままに神社巡りをしているので、

素直に龍鎮神社に行ってみることにしました。



龍鎮神社は奈良県宇陀市の室生ダムを南下した

深谷竜鎮渓谷の中にひっそりと佇んでいます。   


日日是幸日
                

川の側に小さな祠と石の鳥居。

そしてその対面に簡素な拝殿があるだけ。


決して自然の景観を損なうことなく、

龍鎮神社は自然の中に溶け込んでいます。


日日是幸日


日日是幸日


日日是幸日

拝殿


日日是幸日

祠と石の鳥居


日日是幸日


ぼくはここの神社が好きで今年の1月に初めて

訪れて以来3回目になります。

(以前記事『龍鎮(りゅうちん)神社~深谷竜鎮渓谷参照 』) 

前回は新緑が鮮やかな夏頃に来ましたが、

今回はちらほらと紅葉が色づき始め、季節の

移り変わりを実感しました。


拝殿で龍神祝詞をあげたあと、川の近くに行き

しばらくその場の空気感を味わっていました。



日日是幸日


日日是幸日


絶え間なく滝壺に流れ落ちる水によってえぐり削られた岩。

そこから流れる水の通り道の岩肌もツルツルになっています。

何万年も前からそこでただひたすら水は流れ続け、岩をも

ツルツルに削ってしまったんでしょう。


日日是幸日


そんな水の流れをただぼーっと眺めていると、

上善は水の如しという言葉を思い出しました。


理想的な生き方は水から学べばいいという意味です。


水はどんな器に入れても柔軟にその形になります。

それは調和しても安易に同調したりせず、柔軟な中にも

自分の軸がぶれない信念を持つということ。

そして水は自らを低い所へ身を置こうとする謙虚さがあります。


この「柔軟性」と「信念」と「謙虚さ」をあらためて気づかせて

もらう為に、三輪の貴船神社から龍鎮神社に導いて

いただいたような気がします。



3月11日に起きた東日本大震災では多くの方が津波に

流され亡くなりました。

9月には台風12号の影響で紀伊半島に多大な被害がありました。

そして今なお続くタイの洪水被害。


奇しくもすべて水による被害です。


この龍鎮渓谷の水の流れを見ていると、とても穏やかで

そういった水害とは無縁のようにも思われます。


人間のカラダもほとんどが(約60%ぐらいやったっけ?)

水でできている以上、水の性質を持っているはずです。


今あらためて、自分自身が【水】の如く生きれているのか

見つめ直す事が必要なのかもしれません。



日日是幸日



【追記】


最近、神社にお参りに行った後、雨上がりではないのに

虹を見たり、彩雲という虹色の雲を見たりすることが多々あります虹

この日も龍鎮神社参拝後、空を見上げたら薄い虹がありました。

見上げたその一瞬だけですぐに消えてしまったけど。

なんだか嬉しいですニコニコ




ありがとうございました合掌