霧の玉置神社
『日本書記』では最初に、『古事記』では神世七代の一番目に現れた神は
国之常立神(くにのとこたちのかみ)という宇宙に初めて大地を創造した
国土形成の根源神です。
奈良県の最南端に位置する標高1076mの玉置山の頂上付近に
国之常立神を祀る玉置神社が鎮座しています。
霊峰玉置山には神武天皇東征の際、八咫烏に先導された神武天皇と兵が
休憩され、身の安全を祈願して「十種の神宝」を奉じたと伝えられています。
紀元前33年、第十代崇神天皇によって玉置神社は創建、
神仏習合の時代には熊野本宮~吉野の大峰山系を縦走する
大峰奥駈けの拠点ともなり、熊野奥之院とも呼ばれています。
先日、春分の日に玉置神社に訪れました。
昨年9月と11月に訪れ、この半年間で3回目になります。
ぼくの家は京都南部で奈良県との県境にあるのですが、そこから
車で約4時間のドライブ しかもほとんどがグネグネの山道。
いつも玉置神社に行く時はかなり気合を入れて行きます(^▽^;)
この日は到着したのがお昼頃だったのですが、玉置山は霧に包まれ
幽玄な雰囲気です
玉置神社のこの霧に包まれた雰囲気を体感したいが為に、
前回訪れた時はいずれも早朝に着くように来ていたんですが、
霧に包まれることはありませんでした。
今回は昼に着いたにもかかわらずこの景色はサイコーですね:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
これほど霧の似合う神社は他に類を見ないです。
玉石社へ向かう山道
龍!?Σ(゚д゚;)
今まで見過ごしていたんですが初めてお参りしました。
ご祭神はわかりませんが、なんだかとてつもなく大きなエネルギーに
包まれる感じ…
鳥居の先に見える柵に囲まれたところが玉石社
真ん中の丸い石が玉石です。地中には大きな岩が埋まっていて先端の
一部だけが地上に出ているといわれています。
実際は埋まっている岩の部分はだれも見たことがないと思います。
しかし見えない部分も信じられ昔から信仰されてきました。
人間をこの玉石に置き換えたとき、見えている部分は肉体であり、
隠れている部分は一霊四魂(荒魂・和魂・奇魂・幸魂)と考えられます。
戦後、高度成長期を経て日本は物質的豊かさを求めてきました。
木を切り、鉱物をとりつくし、海、川、大気を汚し、得たものが
物質的豊かさと飽食の一時的な幸せです。
それらは目に見える価値だけを求めるいわば、
体主霊従の生き方でした。
しかし、今こんなときだからこそこれからは
霊主体従※の生き方に変わる必要があると思います。
(※人間を霊と肉体にわけた時主体となるのが霊で体は霊に従うという考え方)
皆さん気づきはじめていると思いますが、
「目に見えないけど、確かにそこにあるもの」
今回の東日本大震災で多くの人が感じ取ったことだと思います。
人間は肉体と魂のバランスが均等な状態が健康体といえます。
霊主体従の生き方が良いからといって、どこかのインチキ霊能者や
インチキヒーラー(ごめんなさい悪気はないですm(_ _ )m)
じゃないですけど霊的なことばかりを主体にするのは
またちょっと違うと思います。
あくまでバランスが必要です。
光があるから闇があり
闇があるからこそ光が輝きます
この世界は相反するふたつのもので成り立ち、
この明と暗のコントラストを神と呼ばれる存在は
意図的に創造されたのだ思います。
このふたつのバランスがとれた、霊主体従の生き方をぼくを含め、
皆が実践できればより良い世界に変わっていくんでしょうね。
玉置山の大自然が自然の摂理を教えてくれました。
生かされていることに感謝。ありがとうございます