我々に与えられるのは、都合の悪い真実ではない。
誰かに都合良く操作された、情報だ。
私がこの場で映画「ゾンビ」に纏わる話を書くのは、これが最後となる。
「ゾンフェス」の直後から、世界は一変した。
だが未だ‘メテオ流用説’は歴史から修正されないし、一個人に状況はコントロール出来ず、流れは変えられない。
つまり、誰かにとって都合の悪い情報は‘俺自慢’のスタンドプレイとして黙殺されるのが関の山なのか。
それが真実であろうとも。
「ゾンビ」日本ヘラルド映画版の復元が、クラウド・ファンディング企画されていると知った時の私の喜び。
少しでも良いものにしてほしいとの一念から、私が所有するヘラルド版素材の情報提供を企画側に申し出た。
映像だけでなく、オリジナルである野中重雄氏の翻訳字幕も忠実に蘇らせたいと。
当初は反応がなく、時間だけが過ぎた。
「ゾンビ 日本初公開復元版」劇場公開直後に改めて、誤訳等の問題点をコメント欄からお知らせした。
公開版には間に合わなかったが、後に配布されるリターンBDではより良い修正は可能だ。
こちらの情熱をご理解いただけたのか、企画責任者の方からも良好な反応をいただき再現字幕を修正できる可能性に辿り着く。
しかし、字幕修正の提案を頑なに否定する人物が存在した。
彼の言い分は、「劇場公開した字幕を変更すれば、観に来たファンへの裏切りになる」というものだった。
SNSを通じてやり取りする中で、更に彼からは衝撃的な情報も伝えられた。
そもそもこのプロジェクトは、ヘラルド版の海賊版映像を基に進められたものなのだと。
彼自身、昔ある地方のマニアからヘラルド版の録画ビデオを入手したという。
後にそのルートで業者に渡り、違法コピーした海賊版として広く売買されたのだろうという憶測も交えて。
そして彼は、私に次の言葉を残した。
「やったもん勝ちなんですよ」
その結果が、非売品という形で本作を愛するファンが所有しているリターンBDの翻訳字幕。
正確に復元するのを放棄した、投げやりに近い創作部分はそのままで。
完全再現は不可能にしても、改悪された状態で伝わるのは本来の字幕を生み出した野中氏への冒涜ではないのか?
こういう経緯があって私は、ツイッターという場で本作のファンに向けより正確なヘラルド字幕をお伝えする決意を固めたのだ。
事の発端が私にあるならば、こういうケリの付け方があっても良かろう。
誤解が生じぬよう明言するが、私を牽制した人物はフィールドワークやスティングレイに属する者ではない。
業界に携わる方は、そんな情報を簡単に外部には漏らさない。
私は、この企画を実現してもらったことが本当に嬉しかった。
それが誰の手によるものであろうとも。
だから、提示した字幕修正案を真剣に検討していただき、結果わずか一か所のみとはいえ私の意見を通して下さったプロジェクトの責任者には、今も心から感謝している。
時間をおいて今、私は静かに考える。
日本初公開復元版の字幕は、その9割がヘラルド字幕を一語一句正確に再現している。
しかし約80か所程の部分に誤字・脱字があり、一部に致命的な誤訳すら存在するのも事実。
その部分は、現存するオリジナルの映像で判読困難な字幕なのだ。
先の彼の言う通り、ヘラルド映画海賊版映像を基に字幕作成が行われたのは、間違いないだろう。
だがもし、初公開復元版のパンフレットに書かれた記事が真実であったなら。
当時の映画館で書き写した字幕だと偽り、原稿を持ち込んだ者が実在するならば、それは果たして何者なのか。
そこに、答えはない。
私から言えるのは、復元字幕の担当者には本作に対して‘最善を尽くそう’という良心が欠けているのが残念でならない。
最後に、未来に希望の種を蒔こう。
「ゾンビ」の日本ヘラルド映画を再現する企画は、まだ完遂されていない。
以下の画像をご覧あれ。
劇場公開時、本作はスクリーンの上下を切って上映されていた。
つまり、本当のヘラルド版は4:3サイズなのだ。
当時のテレビ放送も、映像加工済みのヘラルド版フィルムが使用された。
初公開復元版の映像は、スクリーンサイズで再現されている。
やろうと思えば、ノーカットで当時の公開フィルム色調をも再現補正した真のフルフレーム・日本ヘラルド映画完全版復活という夢が残されているではないか?
本来、ヘラルド版の初号プリントは119分が無修正・全編字幕入りで存在したはずなのだ。
そして完全な新規吹き替え音声による伊版の実現も、クラウドファンディングに望みをかけたい。
劇場公開新企画は無理だろうが、新規ソフトの特典映像としてならば可能性があるのではなかろうか。
近い将来、次世代ソフトで本作が復活する時が来る。
その折には、これまでにない、そしてこれまでを超えるような素晴らしい新規翻訳字幕の作成を!
私がTwitterから届け続けた字幕情報を、流用していただいても構わない。
誰が実現しようと、愛と誠意を持って形にしてくれるならば本望なのだから。