1985年 夏、渋谷で行われた「第1回スプラッタームービーフェスティバル」。
ここで、「ゾンビ」のアルジェント監修119分完全版が公開されるはずだった。
しかし当日、それは急遽日本ヘラルド映画版に差し替えられた。
会場にいる総合プロデューサー・小松澤陽一氏から告げられた理由は、プリントが間に合わなかった、という何か歯切れの悪いものだった。
最近、「ゾンフェス」のトークコーナーでその話題が出た。
あの時日本国内に、119分版のプリントは届いていた。
それが公開出来なかった理由は、もっと長いバージョンがあると譲らない一人のフィクサーの存在があったと。
その人物こそ、光山昌男氏であると僕は推察する。
光山氏は1980年代に入り、日本におけるジョージ・A・ロメロ監督作品のブームを巻き起こす先兵として雑誌記事で活躍した。
ネットで名前を検索すれば、当時の記事と共に顔写真もすぐに出てくる。
彼の本作における代表的な仕事が、国内初のレーザーディスク商品の監修だろう。
商品の帯にも‘責任監修’として名前を大きく掲げており、分割チャプターの多さは同時期の物としても異例中の異例。
ライナーノーツで書かれている内容は、後に本作の伝説として語り継がれているネタが多い。
それが、真実かどうかは別として。
今もウィキペディアに記載されている、日本ヘラルド映画版の惑星爆発OP映像が「メテオ」からの流用だと最初に言い出したのは光山氏ではなかったか。
今回、「ゾンビ」日本初公開復元版のパンフレット記事においてようやくその真実の一端が解明されたのが喜ばしい。
ネットのない時代、容易に調べられない話を声高に言ったもん勝ちの世の中で彼は時の人となった。
LDライナーの記事では、他にも現在では事実でないと明かされた話がかなり多い。
ダリオ・アルジェントが自分でも撮影した映像を監修版に使ったという発言が書かれているが、最近のインタビューではロメロを信頼し全て任せたと答えている。
幻の最長版に関しても、その解説部分がシナリオやそれを基にした小説を読むと決して出てこない台詞を作り上げて事実として発表している。
簡単に言えば、虚言癖のある人物。
当時僕の耳にも入ってきた、漫画家の〇橋〇美子と付き合っているなんて話も光山氏本人の口から広まったものだろう。
しかし、そんな人格が功を奏してか自らの名を模した会社を立ち上げる。
それからの光山氏の人生は、スキャンダラスな記事として洋泉社の本でも伝えられている。
「業界の怪人」「闇のオタク王」などの異名を持つ彼は、バブル崩壊と時を同じくして姿を消した。
姿を消したといっても、それは業界という表舞台からの話だ。
光山昌男氏は、今も闇に隠れて新たなビジネスに勤しんでいる。
話を最初に戻すが、「スプラッタームービーフェスティバル」には9日間通し券というものがあった。
これは、8月8日から16日までの連続9日間、毎晩オールナイトの上映を鑑賞するという酔狂にも程がある企画。
初日の舞台挨拶で小松澤氏は、全て見た者には素敵なプレゼントがあると明言していた。
当時はそれが何かという情報がなかったのだが、後年聞いた話では上映作品の予告編を収録したビデオだったとの事。
それを知ってたら、無理して通ったのに!
「ゾンビ」のブルーレイで映像特典として日本版予告編が収録されたのは、この時のビデオがあったからこそなのだろう。



