今日も熱く語ります。
今回はかなり主観が入っており、
一般論からかけ離れた内容かも
しれません。
いす男は車椅子ユーザーになり
16年が経ちました。
障害を負って間もない頃、
周りの人たちが心配して
障害を負った人が書いた人の
本や詩集、それらを朗読した
カセットなどを持ってきて
くれました。
また実際に車椅子で生活して
いる方が看護師から「会いに
行ってくれと言われたから」と
病室にいらっしゃったことも
あります。
どの方も「障害があっても
負けるな」「強く生きろ」という
メッセージを受傷して間もない
いす男に伝えたかったのでしょうが、
自分の身に起きた現実をまだ
受け入れることができなかった
いす男には正直、「ありがた迷惑」
な話でした。
また「障害を負ったけれど
あなたの魂は・・・」など、
精神論、人生観を伝えようと
される方もいらっしゃいました。
今考えれば、すべてがありがたい
話であり、多くの方がいす男を
心配してくれていたのだと感謝の
気持ちでいっぱいになります。
ただその反面、いす男の
心の中に「相手に良かれと
思ってやることが、相手にとって、
ベストなことばかりではない」
ということを学びました。
人を救いたいと思う気持ちは
誰にでもありますが、そんなに
簡単に「人を救うことなんて
できない」といす男は思います。
だから現場で認知症の方や
家族の方に対して軽はずみに
「その人らしいケアをします」
「その人の望む活動を行います」
などという言葉を口にしたくは
ありません。
自分の親が認知症になり、
生活が一変した家族にとって
「治ってほしい」
「元に戻ってほしい」
という願いが第一だと思います。
初回面接でセンターの職員が
「その人らしいケアをします」
と笑顔で言えば、家族はきっと
ここを利用することで、
「治るのではないか」
「よくなるのではないか」
と期待します。
しかし実際はどうでしょうか・・・。
「その人らしいケア」
「その人の望む活動」
が行われているのでしょうか・・・。
家族と職員の温度差・・・
理想と現実のギャップを感じずには
いられません。
残念なことはその温度差も、
時間が経つことで
「一日見てもらえるだけでいい」
という介護負担の軽減にウエイトが
置かれるようになることです。
極論をいえば、「家に帰りたい」と
訴える利用者さんの「望む活動」は
帰宅することです。
それを上回る活動を我々が
提供しようとすれば、それは
至難の業です。
利用者さんよりも若く、人生経験も
少ない職員が、その方の歩んできた
人生も性格も知らず、調査票の
情報と認知症である現在の姿だけで
判断して本当に
「その人らしいケア」
「その人の望む活動」
などができるのかと思います。
こんな話をすれば、
「何もできないじゃん」
と反論を受けそうですが、いす男が
いいたいのは、それくらい責任の
ある仕事をしているという自覚や
「実際は難しい」という現実を
しっかり受け止めた上で、その中で
何ができるかを考え、実践していくことが
必要だと思います。