今回もいす男の思いを熱く
語ります。
以前QOLサービスの雑誌
「認知症ケア最前線」のエッセイ
コーナーに掲載された内容を
思い出しながら書きます。
利用者さんの中にはいす男を
「先生」と呼ばれる方がいます。
以前は年上の方から「先生」と
呼ばれることに違和感を感じ、
「私は先生ではありませんよ」と
毎回言っていたのですが、利用者
さんが「先生」と呼ぶのには理由が
あることに気がつきました・・・。
集団の体操では皆さんの前に出て
体操を行っているので、いす男を
「体操の先生」と呼ばれることが
多いのですが、本人は「体操の先生」
という認識はまったくありません。
体操の先生と聞くと皆さんを指導したり、
教えるようなイメージを持ちますが、
いす男は自分の立ち位置を「体操を
一緒にやる人」または「提案する人」
だと認識しています。
特別な資格もなく、専門的な勉強も
していないいす男が先生などと
名乗れるはずもありません・・・。
そんないす男は ある日「先生」と呼んで
くださった方にいつものように「先生では
ありませんよ」と言いました。
するとその方は
「私のように90を過ぎるなかなか職員の方
の名前を覚えられない。
先生のようにいつも名札を付けていて
くれればいいんだけれど、そうでもない。
また先生は名札の裏に大きな字で
読みやすく名前を書いてくれている。
とてもうれしいことだけれど、最近は目も
暗くなり、その字が読めないときがある。
いつも『先生じゃない』とおっしゃるから
名前で呼べればいいんだけれど、
思い出せない、見えないときには咄嗟に
『先生』と呼んでしまうの」と・・・。
さらにその方は「先生は車椅子に乗って
いるのにいつも元気にニコニコとしている。
その姿を見るだけで、こちらまで元気に
なれる。
それだけじゃない、体操も年寄りにあった
ものを教えてくれるし、頭から足までいろんな
体操を、簡単なものから難しいものまで
教えてくれるから自分にあった体操が選べる。
家でもできる。
それに飽きさせないようにいろんな話題を
途中で入れてくれたり・・・。
そんな一生懸命さがよくわかるの。
だから私達にとってあなたは『先生』なのよ」
と・・・。
そんな言葉をいただき、涙と一緒に
もう否定することはやめようと思いました。