給付金を巡る議論の混乱
かなり混乱している。目的と手段の区別もできない議論が跋扈している。印象だけで述べられる支持,不支持を淘汰するため,議論を整理する。
まず,現在の主眼は「景気刺激」だ。大雑把に言って方法は二通り。
一つは,より小泉内閣により推進された「構造改革」を推し進め,規制を緩和し,モノだけでなく,ヒトとカネを商品化して,市場においてできる限り,自由に取引するという方法。そのことによって,必要なところに,ヒトとカネがスムーズに移動するようにして,経済の活性化を図る。
しかし,この方法は,カネの過剰な流動化がアメリカ発の金融危機を引き起こし,ヒトの流動化の結果として「派遣社員」が大いに活用されたが,景気の悪化に伴う「派遣切り」により,ヒトの行き過ぎた流動化にも疑問が呈されている。
小泉内閣の「構造改革路線」を支持していた中谷巌(一橋大学名誉教授)は,「転向」を宣言し,「構造改革路線」を(自己)批判し,別の改革路線の必要性を主張している。
本人も「なにをいまさら」と言われるのは自覚しているようだが,「構造改革」批判というのは,「構造改革」の真っ最中に行われるからこそ,多少とも意味があるのであって,廃墟を見てから,間違っていたという反省だけならば,なんとかでもできるのである。
http://www.murc.jp/nakatani/column/2009/01/20090120.html
まあ,反省すらせず,自説を頑なに主張する竹中平蔵みたいな人もいるので,まだマシなのかもしれないが。
さて,一つ目の「構造改革」路線が効果が上がらないばかりか,今回の不況の原因と悪化に一役買っているとすれば,政策として採用するわけにはいかない。
そこで,二つ目が政府のお金を使った景気対策である。例えば,ダムやトンネルや鉄道を造るという公共事業,医療への補助金,低所得者への補助金,減税,そして,今回の給付金,とすべて結果的には景気対策につながる政策である。
このような政策が,国の借金を増大させるという批判もあるが,国会財政が破綻するほど出なければ,さほど大きな問題ではない。
通常であれば,公共事業や減税が行われるのであるが,今回は給付金が話題になり,どうやら実現しそうだ。
給付金批判に対して,高所得者にもわたることがしばしば批判されているが,景気対策という点から考えると,多くの人に配るほうがいい。不公平だと言うのであれば,寄付でも呼びかければよいのではないか。
また,給付金を国民の手元に届けるのに1,000億円の経費がかかるという批判もあるが,この経費も誰かの仕事となり,所得となるのだから,景気対策となる。
こう考えてくると,結論としては,給付金を早く配ったほうが良いことになると思うのだが,私にも,違和感はある。それは,あまりに稚拙な政策だという感覚からきているように思う。しかし,日本という国家にヴィジョンらしいヴィジョンがないのだから,その場しのぎではあるが,いや,その場しのぎにするならないかもしれないが,政争の具とすることなく,素直にこの政策を受け入れるほうが良いのではないか。
日本サッカー失敗論
しばらくまともにサッカー観てなかったから、ほとんど選手とかわからないんですが、久しぶりにサッカー好きを気取って観ようかと思いまして、バーレーン戦観てみたわけですよ。
決して弱くはないけれども、強くもない、なんだかいつもながらの日本。
ファンの方は、今後盛り返して欲しいと思ってるんだろうし、そんなファンの方々に冷や水を浴びせて悪いんだけど、弱い。
たぶん、ファンの人とかは、いろんな分析で擁護とかできるんだろうけど、ここ数年の日本サッカーって全然進歩がないと思うんですよ。
Jリーグができて、約15年。15年前だって、アジアの強豪国の中の一つ。その中から、頭一つ抜け出すために、Jリーグというのができたのだと思っていた。
でも、15年経っても、全然頭が抜けないじゃないですか。そりゃ、他の国のレヴェルも上がってるんだろうけど、それ以上にあげるためのプロリーグだったんじゃないのか。
まあ、原因はいろんな言い方ができるんだろうし、選手の技量なのか、監督の采配なのか、協会の運営が下手過ぎるのか、ようわからんけど、川淵とかいうチェアマンだか、キャプテンだかは、いつまでやってんだろうね。
結果の出ない組織のトップが15年近くかわらないというのは、それだけで異常だと思うのだが。というか、彼はトップではないのか??
「見たいものしか見えない人」と「見たくないものまで見えてしまう人」
◎自分は仕事で失敗をしていないと信じ込む人。
◎彼が振り向いてくれないのは,自分の努力が足りないせいだと思っている人。
◎とりあえず自分が不遇なのは,社会のせいだと考える人。
◎ストーカー。
◎やたらポジティヴ過ぎる人。
◎やたらネガティヴ過ぎる人。
「見たいものしか見えない人」はわりと多い。それは人間がものを考えるのに,予断や偏見を前提にするからであって,しょうがないと言えばしょうがない面もある。
「見たいものしか見えない人」は痛い。痛いだけならまだしも良いが,ストーカーになってみたり,周囲を巻き込み始めるとたちが悪い。さらに調子に乗って総理大臣なんかになってしまうと,こーぞー改革だ,ゆーせーみんえーかだとか,叫び始めて,社会的害悪となる。
「見たいものしか見えない人」にならないためには,「もしかしたら自分は見たいものしか見えていないのではないか?」と,常に疑うことしかない。
そうすると,見たいもの以外も見えてくる。しかし,これを徹底的に行うと,「見たくないもの」まで見えてきてしまい,正しいのだがつらい。
どちらを取るかという二者択一的な話ではなく,自分が「見たいものしか見えない人」にならず,「見たいものしか見えない人」には,少しでも「見えるもの」を増やしてあげる。
それが自分の社会思想的課題でもあり,身近な社交的課題でもあると思っているのだが,この二者の間を行ったりきたり,二者の間をうろちょろしているうちに,人生なんて終わってしまうのだろう。
