宇宙に想いを馳せる | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

前回の『人間の生きる意味』で、

宇宙と人間について、

 

「すべての根源はただ一つであり、

われわれもそれと一体である。

 

そこから無限のエネルギーが放出され、

大宇宙のほんの一角に、

 

太陽が生まれ、

地球が生まれ、

人類が生み出された」

 

と書きました。

 

 

私は「宇宙の大きさ」について

想いをめぐらすのが好きです。

 

光の速さというのは凄いもので、

たったの1秒で地球を7周半するといいます。

 

地球と月の距離は光速で1.3秒。

それに対して、地球から太陽へは、

 

8分。

 

桁違いに遠く、

約370倍の距離です。

 

それでは、別の太陽(=恒星)は

どのくらい離れているかというと、

 

一番近くにあるもので、

4.243光年。

 

太陽へは8分で行くのに、

一番近いものでも、光を発している別の星には

 

4年以上もかかる。

光速で4年!

 

あの超高速の光が四方八方へ進んでも

4年以上も、そこには何もない!

 

 

気の遠くなるような距離と

広大な何もない空間、です。

 

われわれが所属している太陽系というのは、

銀河系宇宙のなかの

 

「絶海の孤島」と言っていいでしょう。

 

夜になって太陽が裏側に隠れてしまい、

もし空が曇っていると、

 

真の真っ暗闇です。

 

暗黒の空間にポツンとあるのが太陽と

そのまわりを回っている惑星たちです。

 

地球に生命を生み出してくれているのは、

太陽の光だけだということがよくわかります。

 

太陽のありがたみがようやく理解できました。

 

 

それにしても、宇宙というのはほんとうに

すき間だらけです。

 

何もない無の空間が延々と広がり、

その中のほんの一点に物質が存在している。

 

それはミクロの世界でも同じです。

 

物の最小単位である原子も、

 

「原子核をサッカーボールの大きさにして東京駅に置くと、

電子はパチンコ球くらいの大きさで、

 

小田原駅ぐらいのところをぐるぐる回っている」

 

そうです。

 

「原子の内部の99.99999%は、

真空の空間」

 

だそうです。

 

原子がそんなにすき間だらけなのに

金属や岩石があれだけずっしりと重量感があるのが不思議です。

 

 

われわれの銀河系(天の川銀河)は、

1,000億の恒星がある、

 

真ん中が棒状で、楕円の形で回転している

「棒渦巻銀河」であるようです。

 

 

 

 

まん丸ならわかりやすいですが、不思議な形をしています。

 

真ん中に「超大質量ブラックホール」があると思いますが、

棒状の両翼にもブラックホールがあるようです。

 

三位一体、この3つのブラックホールで

銀河を統制しているようです。

 

日本神話の造化三神

「天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神」

 

に対応しているのではないかと

勝手に解釈しています。

 

 

天の川銀河の端から端までの距離が、

光速で約10万5千年。

 

この巨大な星の群れのすべてに力を及ぼし、

引きつけて吸い寄せながら、

 

雄大な回転運動をしている中心が

ブラックホールでありホワイトホールでもあり、

 

「根源の神」だと想定しています。

 

 

天の川銀河のさらに外側には、

同じような銀河が観測できるだけでも

 

2,000億個はあり、

さらに推定すると、

 

2兆個はあるらしく、

もはやただの数字です。

 

想像を超えています。

 

さらにその向こうにも宇宙は広がっているようで、

際限がありませんので、

 

とりあえず、この私たちの天の川銀河が

“宇宙”だととらえています。

 

 

宇宙のことを空想するのは

メリットがあります。

 

広大無辺の宇宙から見たら、

太陽系などはものの数にも入らない

 

ちっぽけなものであり、

 

ましてや地球、その上に暮らす人類、

自分という一人の人間など

 

何ものでもありません。

 

人間の悩みなどアホらしくなります。

 

 

ところで、

 

もしこの宇宙を創ったのが

“根源の神”であり、

 

「根源の神の分霊、分け御魂である

われわれ人間の本質は、

 

根源の神の本質とまったく同じ」

 

だとしたら、どうでしょう。

 

死んであの世へ行ったら、

根源の神に溶け込んでいって一体となり、

 

この無限の宇宙を見渡すことが

できるのかもしれません。

 

 

さらには、

 

生きている今でも

私たちは根源の神とつながっているのですから、

 

悟りの境地に到達したら、

生きながらにして

 

この神と同じ視点に立つことが

できないこともないような気がします。

 

 

そんなことを夢みながら、

でも大地の上に足をしっかりとつけて、

 

つまらないことには目もくれず、

生きていきたいものです。