神が創った「人生ゲーム」の秘密 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

雲黒斎さんによると、

 

この世は「神の、神による、

神のための遊技場」だそうです。

 

自分でゲームを開発して、

自分で楽しんでいるそうです。

 

さらに、「人生は苦である」が、

同時にそれは、

 

「娯楽」でもある、と。

 

どういうことなのか?

 

そのあたりを説明しています。

 

 

『このゲーム、開発したのが神ならば、

それで遊ぶのも神自身。

 

ゲームのシナリオから各種イベント、

攻略法やエンディングに至るまで、

 

ぜ~んぶバレちゃってるってことさ。

 

ゲームを作ったのはいいけれど、

その状況のままではあまり楽しめない

 

ということがわかった。

 

そこで神はその問題を解決するため、

七日目に驚くべきプログラムを書き加えた。』

 

 

確かに、自分で開発したのであれば、

そのゲームに自分で熱中して

 

ハマることはないでしょう。

それで、

 

天地創造よろしく、ゲームを創り上げた後、

神は七日目の休息日に手を打ったそうです。

 

 

『ゲームの第一面に

「記憶喪失ステージ」を追加したんだ。

 

自分で開発したゲームを存分に楽しむため、

このゲームにプログラミングしたシナリオや

 

さまざまな仕掛け、自分の正体に至るまで、

ありとあらゆる情報を隠蔽するステージを用意したんだ。

 

そのプロセスは数え切れないほどの転生を

繰り返しながら、じっくりと確実に重ねられてきた。

 

私はクリエイターではない、

キャラクターである

 

私は神ではない、

人間である

 

私は無限ではない、

有限である

 

・・・・・

 

そういった「神らしからぬ自分像」という自己暗示を

入念に繰り返していった結果、

 

おまえたちは無事

このゲームの創造主であることを忘れ、

 

「キャラクター」としての自意識を獲得した。

 

そして、その暗示をより強固なものとするため、

さらにたくさんの固定観念や思い込みを重ねては

 

真実を覆い隠し、

 

自らがもつ神としての記憶と

無限の創造性を封印していく。』

 

 

人間は、神としてゲームを創ったことも忘れ、

人間になって、有限なる者として、

 

ゲームに本気になって

取り組んでいる。

 

「楽しまされている」ってことでしょうか。

 

 

『神が本来もっている、完全なる叡智と

無限の創造性が封じられた状態で、

 

いかにして数々の苦難を

乗り越えていくことができるか。

 

さまざまな障害が存在する中で、

いかにして願望を成就していくことができるか。

 

神が神であるゆえに経験できなかった、

そのエキサイティングな挑戦(ストレスの経験)こそが、

 

このステージで求められているおもしろさであり、

醍醐味だ。』

 

 

『全体意識を閉ざし、分離を経験することで

可能になる自己認識。

 

自由と選択を経験するため、

あえて作られた「苦悩(不完全)の道」。

 

神が神である自覚を失うからこそ広がる、

神としての自覚。

 

「リーラ(神の遊戯)」だ。

自我はそのために作られた。

 

人間は「さとり」で生まれ、

成長過程で「さとりを閉じる」。

 

そこを経緯して「さとりを開く」。

 

最初に「閉じて」いなければ、

「開く」という経験ができないだろう。

 

だからこそ、あえて

閉じる必要があるんだ。』

 

(~雲黒斎著 サンマーク出版刊

 『もっとあの世に聞いた、この世の仕組み』より~)

 

 

「神」の秘密を暴く、

圧巻の論理展開です。

 

これがわかったら、悩まないですね。

というか、「悩めない」です。

 

 

問題は、これを心から

納得できるかどうか、だと思います。

 

心から納得したら、

それは、「悟りの境地」です。

 

そのとき、人は

「神」になります。

 

本来の「神」に戻ります。

 

 

ほんとうに、「心安らかになる」

そして、「心豊かになる」話です。