人間の迷い(知花敏彦) | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

-* 「言葉」は心をつくり、人を生かす *-

 

『自分を人間だと思っている限り、

迷っているということです。

 

外という形を見て、

仮相を見て、

本質を見失っているのです。

 

人生の目的とはたった一つ、

自分は人間ではなく、

神そのものであり、

無限のエネルギーであったと

知ることです。』

 

 

『私たちが五感を通じて確かにある

と思っていた物や現象はすべて、

本質が具体的に自らを現した姿形です。

いずれ消えてなくなる幻です。

 

実際にあるのは、

それらの具体的な姿を作り出している

無限のエネルギーという

本質だけです。』

 

 

『「あの世」は、死んでから

初めて移動して行くところではない。

 

我々は生きているこの瞬間でも

「あの世」に存在している。

 

むしろ、我々の存在全体を考えると、

「肉体」を着て、「この世」で

チョロチョロ動いている部分は、

全体の中では

ほんの一部と考えてよいでしょう。

 

ただ、ほとんどの人は

「肉体」を着てチョロチョロ動いている部分が

自分のすべてだと思っている。

 

「あの世」に存在する、

もっと大きな自分の存在を

知らないのです。』

 

(~知花敏彦著 廣済堂出版刊 

 『神我顕現への道』より~)

 

1995年出版ですから、

20年以上前に買って読み、

ノートに書き留めておいたものが

上の言葉です。

 

それをパソコンに打ち込んで

他のものと一緒に毎朝読んでいますが、

含蓄があると感じています。

 

もう一度読み返してみたいと思い

さがしてみましたが見つかりません。

ブックオフに出してしまったようです。

 

再購入を考えアマゾンを見ると、

2万円以上もします。

もったいないことをしました。

 

「われは神なり」のような

大きなことを言うので

半分怪しいと思っていました。

 

講話もたくさん行い、

話も首尾一貫しているようです。

 

「我々は生きているこの瞬間でも

「あの世」に存在している。

 

むしろ、我々の存在全体を考えると、

「肉体」を着て、「この世」で

チョロチョロ動いている部分は、

全体の中では

ほんの一部と考えてよいでしょう。」

 

この部分は大いに

考えさせられるところです。