エピソード 稲盛和夫と電気通信事業参入 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

 

昨日、稲盛氏の携帯電話事業

参入について書きましたが、

その前の電気通信事業への参入

にも素晴らしいストーリーがあります。

 

氏はアメリカで事業を行っていた関係で、

アメリカの通信コストが日本に比べて

格段に安いことに気づいていた。

 

1985年に日本でもようやく自由化が決まり、

長距離通信に新規参入が認められ、

電話料金が下がるものと期待したが、

民間企業で参入の名乗りを挙げる気配がない。

 

また、たとえ既存の大企業が参入してきても、

果たして、経営の効率化を徹底して行い、

国民のために電話料金を下げることができるか

疑問に思う気持ちが出てきた。

 

『そこで私は、京セラのように

ベンチャービジネスとして身を起こしたがゆえに、

果敢なチャレンジ精神で事業を展開し、

 

さらに世のため人のために役立とうという

経営哲学を実践している企業こそが、

国民大衆のために長距離電話を安くする事業に

乗り出すべきではないかと思い始めた。

 

しかしそうは思うものの、当時でさえ売り上げが四兆円を

はるかに超えるNTTに真正面から挑むには、

京セラはあまりにも脆弱であった。

 

それでも、長距離電話料金を安くし、

国民大衆に貢献できるような事業には、

自分のような人間が最も適しているのではないか

という思いを消し去ることができなかった。

 

私の心中では、このようなさまざまな思いが錯綜し、

悩み苦しむ毎日が続いた。

そのような毎日の中で私は、就寝前のひとときに、

毎晩欠かさず自問自答を繰り返すようになっていた。

 

それは、「私が電気通信事業に乗り出そうとするのは、

本当に大衆のために長距離通話料金を安くしたいという

純粋な動機からだけなのか。その動機は一点の曇りもない

純粋なものなのか」という、自らに対する問いかけであった。

 

そうして半年近くたち、考え悩み抜いた末に、

ようやく私自身が、「動機は善であり、私心はない」

ということを確信できた。

 

そして、私の思い悩む心は跡形もなく消え、

いかに困難な事業であろうともこれを実行しようという

強い決意と勇気がふつふつと沸き上がってきた。

 

事業を始めるための大義名分が定まり、

自分を鼓舞するための純粋な思いも確認できたので、

それから先は何を恐れることもなく、

会社設立に邁進することができるようになった。』

 

ここのところは何度読み返しても、心震えます。

「熱い心」と「冷静な心」と「勇敢な心」の共存!

 

いざ蓋を開けてみると、京セラの他にも2社が参入し、

新電電は3社でスタートした。

 

京セラには他2社のように既存の鉄道路線や

高速道路を利用することができないことや、

系列の巨大な企業グループがないので

販売店網もゼロからつくらなければならない。

 

そうしたハンデがあり、不利な状況の中で

スタートしたが、新電電3社の中でDDIが、

最も優れた業績を上げている。

 

『この圧倒的に不利な条件を、どのようにして

跳ね返すことができたのか。今でも多くの方々が、

私にその問いを投げかける。

 

そのようなとき、私はいつも

「心のあり方の差なのです。

我々が成功したのは、純粋な気持ちで

この事業に取り組んだからなのです」

と答えている。』

 

やはり、昨日と同じように、

「心のあり方の差」が、

徐々に、着実に、

業績に反映していき、

ハンデを克服していったのです。

 

『DDIの創業当時から私は、「国民のために

長距離電話料金を少しでも安くしよう。

そのために一生懸命頑張ろう」

 

「たった一回しかない人生を本当に

意義あるものにしよう」

 

「今、我々は100年に一度あるかないか

という大きなチャンスを与えられている。

望んでも得られないような素晴らしい

チャンスに恵まれていることに感謝し、

この機会を活かそう」

とDDIの社員に訴え続けてきた。』

 

「チャンスに恵まれていることに感謝し、」

と、今日も「感謝」の言葉が出てきました。

稲盛氏の根底にあるこの謙虚さが

大きな力になっている気がします。

 

しっかりとした理念に基づき、

高い目標を掲げ、その意義を訴えて、

全社一丸となって仕事に打ち込む。

 

そういう「心のあり方」に全社員を

持っていってしまう、巻き込んでしまう、

そこに稲盛氏のカリスマ性があり、

そこが真骨頂だと思います。

 

~稲盛和夫著 PHP研究所刊 『敬天愛人』より~