個人崇拝の危険 | “縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

“縄文の蘇り”&”ろくでもない世界”との決別

第一ステップ:戦後の常識の徹底的な破壊(GHQの洗脳解除)
第二ステップ:弥生以降の常識の破壊(大陸思想の廃棄)
第三ステップ:奥底に眠っている縄文人DNAの起動

素晴らしい人に出会ったとき、

その人を全肯定するのはいい。

すべてを受け入れ、

すべてを模倣し、

その人と同一化し、

師匠として師事するのはいい。

 

でも、

「価値あるものが、自分の中ではなく、

自分の外にある」という意識・認識・想念

を持っていると、

 

「個人崇拝」に堕する可能性がある。

「神」のごとく崇め、

御利益を期待し、

依存し、

その人を「信仰」してしまう。

 

そうなると、

その人に従属してしまい、

受け取ることばかり考え、

離れられなくなってしまう。

 

主体はあくまでも自分であり、

自分を高めるために

その人をすべて受け入れる。

 

本質的には、

その人と自分とは対等であり、

自分はその人の道具ではない。


自分が判断の基準になっている

ことを明確にしておくことが大事です。