更新するか迷いましたが、きちんと弟の事をお伝えした上でブログをやめようかと思いました。

弟が空へ旅立っていく空の写真です。ずっと外で見上げていました。

私が住んでいる所は昨日から雪が舞っています。冬を過ごす事ができなかった弟の事を思うと苦しくなり、また、今日の満月の月を見上げると、在宅看護の時を思い出します。

4月に入院する前に2人で焼肉を食べに行き沢山食べて、夜8時位まで一緒にいました。放射線を受けていた時期なのでしんどいはずなのに、そんなそぶりを見せる事もなかったです。

入院中、資格を取得する為に勉強をし、手術後、包帯でぐるぐる巻きの手でどう書こうか、病院から試験会場までどうするか、送るよ、とか、資格合格した‼︎とか、医大のタリーズで私とお茶しながら話したことです。ジャーマンポテトのホットドッグが大好きでした。

足の手術をしてからは車椅子でした。
手も足も痛いのに、車椅子に乗るだけでも一生懸命でした。

同室の方からコロナに感染した直後は、手術ができなくなった事に対して本人も怒りがありましたが、そこで立ち止まるわけにはいかないと、次に何ができるか何をするべきかを考える本人の姿がありました。時間を無駄にする訳にはいかないと話しをしました。コロナ感染中は食欲もありましたが、しんどさもあり、ラインの文章がだんだん短くなってきました。

病院のタブレット越しに「前は(白血病治療中)会えよったのにね」とポツリ呟く事もあり寂しかったのです。

それでも病院に行くと、アイスだけは毎回食べたいと、ローソンで電話して食べたいアイスを荷物と一緒に届けていました。

9月10日夜泣きながら、家に帰りたいと電話があり、うん家に帰ろうと2人で泣きながらかなりの時間話しました。

9月11日が35歳の誕生日でした。余命6ヶ月の宣告をされていた為、最後の誕生日になることを本人も家族も分かっていた為、特別面会で15分だけ面会の許可が出ました。11日の午後プレゼントを持ち面会に行きました。私はそこで変わり過ぎた弟の姿に驚きを隠せず、病室の荷物を片付けながら、泣いてるのがバレないように弟と話をしました。つい最近から体がしんどくなっていったと言っていました。私は弟の状況を分かっておらず会って知った弟の事で混乱していました。

退院する2日前、弟の処置を覚えるのと、鎮痛薬の説明を聞きに病院へ行きましたが、手術ができずひどく大きく穴のあいた右脇を見て言葉も出ませんでした。

9月17日退院する為に、台風のような大雨の中医大に到着しました。
「今の状況でいつ息を引き取ってもおかしくないがそれでも退院するか❔」と聞かれ、弟の意思で決めること、いつ命がなくなるかもしれないことは直に言わないでと伝えて、弟の強い意思で、バタバタ酸素を吸いながら車に乗り込み退院をしました。

車の中で一度1人暮らしの部屋に寄りたいとの事で、部屋に寄りましたが、大雨と体の痛さで本人が部屋に入ることはできず、欲しい物を取りに私が向かい、高速に乗り、苦しい止まってとなる都度、休みながら酸素の吸引を行いながら、自宅に帰りました。

せっかく外に出られたのにと、とても苦しかったです。

退院までの話しです。