空を見ては、どこかで会えるんじゃないかと、何回目の月命日でも、旅立った時間になると締め付けられるような思いがします。

在宅から旅立つまで…
弟が退院してきた日、医大で2週間お風呂に入っていないから入りたいとの事で、母と私で抱えながらお風呂へ、痛くて大変だったけれど、さっぱりして嬉しそうでした。

退院して2日目、自分が亡くなったらしてほしいことを弟から聞く←家族の事ばかり優しすぎる弟でした。

福岡に住む姉家族が帰省し、一晩でしたが、弟とゆっくり会うこともできました。

退院して5日目、血圧50/30台
訪問看護さんから厳しい話し、看取りの話し、痛みはナルラピド、フェンタステープで緩和、そんな状態でも意識がはっきりしていたが、眠ることが多くなり、私が横で仮眠している間に息が止まるんじゃかいかと、怖く眠れなくなる。

鬼滅の刃のテレビ放映があった夜、弟が一緒に見たいと言っていたので2人でのんびり見ながらとても穏やかな時間を過ごせました。

それからは少し血圧も持ち直したが、痛みより苦しさが出てきました。
少しずつ、食欲もなくなり、足が動かなくなったと不安になりだし、医大に戻って、抗がん剤の効果があったのかの結果とこれからの相談をしたいとしきりに言う弟、病院に行きたいと言い出しました。

目が黄色くなり、うつろな表情になりましたが起きている時の意識がはっきりしていた為、苦しいのをいっぱい我慢させてしまいました。

弟は一度、医大でコロナに感染させられている為、精密なCPR検査では必ず陽性反応が出るのでまた病院に戻ると隔離される事を退院時に伝えられていました。だから、看取りの覚悟を…でした。

できるだけ、私が看取ろうと覚悟をしていましたが、離れたくなかったですが、苦しい弟を見ると希望どおりにもう病院に連れていこうと決めました。

悲しくて言葉にできませんが、その時にした弟との会話が後悔しかありません。

救急車で近くの緩和病棟のある病院へ
コロナの検査で陽性反応が出たから、受け入れられないと言われ、苦しいから来ただけで、コロナになったのは弟のせいじゃない、頑張って治療していただけだと、待合で泣きながら話した覚えがあります。

その後、抗原検査で陰性が出たら入院できると変更となり、エレベーター前でまた来るからね、と移動中の弟と会え話しをしましたが、うんと小さく頷く弟が最期、その後、お別れもできず、
1人ぼっちで、怖い中旅立ちました。

防護服で白く冷たくなった弟にゴム手袋ごしに触れて、なぜか涙が出ませんでした。
やっと苦しいの解放されたね、らくになれて良かったね…と、コロナにさえ、ならなければ最期も一緒にいてあげられた(弟は若いだけに意識も最期まではっきりありました)だから、どれだけ怖かったか、せっかく会えたのに、防護服を来て弟は菌じゃないよ!それからは弟の身体は、抗原検査の陰性が分かるまで、納体袋に納められ、10年白血病から懸命に闘病してきた弟の最期が、このようになったことが、くやしくてくやしくてたまりませんでした。

弟は結果、陰性で、そのまま火葬されることもなく、たくさんのお友達やお付き合いのあった方々に見守られお葬式をあげることができました。

弟はほんとにすごかったです。自慢の弟です。優しい弟です。
今、コロナの感染者が多い日々ですが、闘病中の方に悪い影響がおこらないことを心の中からずっと祈っています。
手術が遅れるもしくは、できなかった、面会制限で最期に会えなかったなど、後悔のない時間を過ごせますよう祈っています。

コメントのお返事もできませんでしたが、たくさんの方に弟のブログを見ていただけました事、本当にありがとうございました。
弟にかわりまして、お礼を申し上げます
ありがとうございました