水曜日は曇っている。(個性のこと) | シジンの日記

シジンの日記

つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしことを、だらだらと書かせていただいてます。



 

予報では晴れているはずだけれど、朝から曇っています。
昨日はたくさん歩いたのですが、特にストレス解消になる出来事もなかったので数値は悪化。
でも、ばらつきの範囲内なのであわてる必要はないです。

一度書いたブログが何故か吹っ飛んでしまいました。
ブラウザ(FireFox)との相性なのか、CGIとの相性なのか、二度手間になってしまいました。:-<

1693年(江戸時代だ)の今日、ロンドンで世界初の女性向け雑誌「ザ・レディス・マーキュリー」が創刊されたのだそうで、今日は女性雑誌の日なのだそうな。
レディス・マーキュリーとフレディ・マーキュリーはなんとなく語呂が似ている。
だからと言って特別な関係はないと思いますけど。

追悼コンサートでのブライアンの挨拶ではないですが、フレディは個性的でバイセクシャルでした。
それが故に孤立したり非難されたりすることがあったそうです。
多くの人間って個人の属性分けが好きですよね。
今ではだいぶんに多様性が出てきましたが、私が子供の頃のランドセルは男の子は黒、女の子は赤で選択の余地が無かったように最初からいろいろな枠にはめられていました。(私はランドセルではなくて肩掛けのズック(帆布)カバンを使っていましたけど:-P)

醜いアヒルの子のように集団の中で毛色の違うことをしようとすると弾き出されてしまうのは、まだ生きる残るための余裕がない古い時代では種が全体としてまとまっていないといろいろと問題があったわけで、それはしかたがないことだと思います。
でも今は(きちんと手続きをしていれば)食事に窮する人はあまりいないわけで、もっと個人の多様性に寛容であってもいいと思うのです。
明治以前は市井では同性愛やバイセクシャルが普通に認められいたように、ケッコウ個人の多様性に寛容であったように思えます。
明治時代は国として一つに結束していないと外敵の進入を許してしまう危険がありましたから個人の多様性が失われるのはしかたがなかったと思います。

人に属性を付与するのとも関連すると思いますが、人は何故かグループを作ってつるみたいという性質があるようです。
グループを作って、さらにグループ以外の異質な存在を設定して排除することで集団の結束を固めるような性向を感じることがあります。
属性分けもグループを作りたがるのも、数千年の昔から日本ではつい50年くらい前まで続いていた生活に余裕がなかった時代の記憶の残りかすみたいなものなのかもしれません。

いや、私も小さいころはケッコウ個性的だったもので。(今も?) :-P
あ、でも年齢を追うに従って周囲から納得されるようになりました。(諦められたのかもしれない:-P)



生物が種として生き残るのには多様性(最近はdiversity)が内包されていることが大切だと思います。
上記の点を考えると、人類はまだまだ種として成熟していないんじゃないかな、と思ったりします。
私見なんですけれど。
他人に迷惑をかけなければ、いろいろな性向の人がいてよいと思うのです。
でも、だんだんと個人の多様性を認める方向に動いているようで、それはよいことだと思います。

さて、そんなわけで水曜日です。
週の半ばです。
今日も一日ガンバロー。

 

 

---

新撰組を知ったキッカケは?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 

なんで新選組なのかと思ったら、1862年2/27に新選組が結成された、とも言われている日みたいですね。
壬生浪士隊として会津藩預かりになったのが3/12、新選組を名乗ったのは9/25だそうです。
新選組には女性隊士もいた可能性があって、厳しい局中法度以外ではある程度の多様性が認められていたようです。

新選組のことは、いつの間にか知っていました。
意識して調べるようになったのは赤塚不二夫先生の幕末珍犬組を読んでからかな。

幕末珍犬組