よくわからない | シジンの日記

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つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしことを、だらだらと書かせていただいてます。

山

ネットにこんな記事がありました。
韓国人 日本人は未開人だから叩き続けないと暴れ出すと認識(ポストセブン)

この記事のタイトルはおかしいとは思うのですけれど、私は絶対的価値観と言うものが理解できません。
お釈迦様も言われているように、宇宙の認識は一人ひとり違うわけで、たとえば同じ景色を見ても同じ景色を見ているわけではない。
一人ひとりの人が、それぞれ似ているようでも少しずつ違う景色を眺めている。
同じ景色を感じているかもしれないけれど、それを客観的に証明する手段はない。
だから、他者との意見をすり合わせるためにいろいろな客観的な定義があるわけで、一つの出来事に対して一つの意見しかないなんて考えられない。
特に感情的なもの、情緒的なものは感じ方が人それぞれで大なり小なり違う感じ方をするものだと思っています。
食べ物だって、ある人がおいしいと思うものでも別の人は生理的に受け入れなかったりしますよね。
ちなみに私は多くの人がおいしいと言う帆立貝が食べられません。

若かった頃、友人と徹夜で、この世に絶対はあるか、ということを議論したことがあります。(本当に若かったなぁ)
そのときの結論は、絶対は絶対に存在しない、でした。

今の物理学では光速を絶対の速度としていますが、それは光速を絶対の速度と仮定すると今のところの物理現象がうまく説明できるわけで、もしかすると今の物理学はただの特異解なのかもしれない。
何か大きなルールの中で、今の人類が知っている世界を説明する物理学は大きなルールの極一部なのかもしれない。
ユークリッド幾何学が、ニュートン力学が宇宙を説明する上での特異解であったように。
そんなの誰にもわからない。

そんなわけで絶対的な存在を定義してしまう一神教も理解できないから、宗教戦争は全く意味がわからない。
わけのわからないことで殺し合いなんかしないで、みんなで仲良く暮らせばいいのに。
ただ、みんながばらばらにルール無用で行動するととんでもないことになるから、集団のルールは必要だと思いますけど、それだってみんなの意見をきちんと反映させなくてはいけない。
自分の考えを一方的に人に押し付けてはいけない。
人は一人ひとり違う宇宙を感じているのだから、それぞれの気持ちを大切にしないといけない。
日本人の身上は察しと思いやりだからよ。(葛城ミサト/新世紀エヴァンゲリオン)
ただ、自分の意見ははっきりと述べないといけないとは思います。
そうしてルールはルールだから、理不尽と感じてもできるだけ守らなくてはいけない。
仮面ライダーの怪人だって(自分が不利になるルールであっても)ルールはきちんと守ります。
その上で相手のことをきちんと思いやる。

もし、仮に上記の記事の内容が事実だとすれば、多種多様なものの考え方を理解できないなんて、心の貧しい国だと思います。
ちょっとだけ地域が違うだけで、多種多様なものの考え方を認めてくれる国に生まれて本当によかったと思います。

そういえば、日本は自然を表現する擬態語、擬音語(流行のオノマトペ)が他の言語よりも豊富なんだそうで、この辺りにも八百万の神を敬い、人を自然の一部と考える日本人の気質が現れているのかもしれません。

そんなわけで宇宙は広い。
今日も一日ガンバロー。

# すみませんが、諸般の事情で今日から火曜日まで巡回が遅れます。