こんなことを考えた | シジンの日記

シジンの日記

つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしことを、だらだらと書かせていただいてます。

昼食のとき、箸休めの沢庵を取り上げたときにこんなことを考えた。

ゆとり教育って子供の教育の機会を取り上げただけなのじゃないだろうか?
何をどう勉強できるかを知るチャンスが失われただけだと思った。
たくさんのことを知って、その中から自分のやりたいことを見つける。
勉強する分野の選択の幅が失われただけなのではないだろうか?
勉強の機会が与えられる家庭ならよいけれど、そうでない家庭もある。
確かに教育に携わる人間の端くてとして、学校の先生の仕事が大変なことは知っている。
何も知らない大勢の子供を教えるのはとても大変なことだと思う。
けれども今の学生は私らが中学高校で習っていたことも知らなかったりする。
ゆとり教育は子供の知る機会を奪っただけではないのだろうか、などと考えた。
勉強の上っ面だけを見ることはできるかもしれないけれど、普段の生活で中身を知る機会はなかなかない。
ゆとり教育は優秀な子供の才能を開花させる機会を失わせただけだと思う。

ちなみに詰め込み教育を受けたはずの私は全く詰め込み教育とは感じなかった。
子供の知識を吸収する能力を馬鹿にしてはいけないと思う。
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シジン