2019年1月掲載
なので、せっかく間が開いた後の今年最初のブログ、
これからは、GQクオリティーを維持しつつも、ちょっと気楽な内容も織り交ぜて、
もっとお楽しみ頂ける内容を作っていきたいと思います。
と言う事で、平成最後の年の第一弾は
「手に入れたい逸品」モデルを。
私には、手に入れたい時計は山ほどあります。
ですが、ここGQ読者にご紹介できるものは、かなり細かい篩に掛かった
「逸品」に限られますね。
そんな逸品は、手にする事が実現できそうなものから、もう夢物語まで。
夢とは言っても、腕時計は案外簡単に試着ができるので、
一瞬でもオーナー気分が味わえるのも醍醐味ではないでしょうか。
そんな中で自分にはその価格ですでに「夢」の部類に入れざるを得ませんが、
昨年イベントで現物を腕に乗せてからゾッコンになったのが
フェルドィナンド・ベルトゥー= “ Ferdinand Berthoud ”
の各モデルです。
聞きなれないブランドだと思いますが、
古い時計を研究している方や、また昔の高精度クロックなどに興味があれば、
必ずピンとくるのがこの、フェルドィナンド・ベルトゥー。
これは歴史の名を残す偉大な時計師の名前であり、
そこから名付けられたブランドなのです。
彼は1727年にスイス「フルーリエ」生まれ1807年没の時計師であり、
若い頃にフランスに渡って時計作りを勉強し、様々な理論をまとめた上に、
27歳にしてフランス科学アカデミーマスター・ウォッチメーカーとなりました。
最終的にはルイ15世、ルイ16世統治下
ならびに帝政期に王室および海軍付き機械時計師として活躍します。
フランスのみならず、スペインの無敵艦隊にも
彼のクロノメーターは納められました。
高精度マリンクロノメーターを数々生んだ伝説の人なのです。
修行時代は「ピエール・ル・ロワ」が修行仲間で、
また自ら工房を開いた時は「アブラハム・ルイ・ブレゲ」が10年も彼の工房に!
そして、英国の「ジョン・ハリソン」とも交流しながらも
常にライバルであったと言う、とんでもない逸話が沢山残っています。
ごく簡単に言うと、歴史上の時計師の中の時計師では最も偉大な一人。
高精度を追求し「クロノメーターの父」とも呼ばれるのがベルトゥーなのです。
スーパービッグネームでありながらも、幸いその名がマーケティングに使われる事が無かったので、あまり一般に知られる事もなかったのでしょう。
と言っても、私のいるオークションの世界では別格。
彼の作品は博物館がこぞって収集するのですから。
その彼の名前を冠したブランドがこの時計。
蘊蓄を語る前に、仕上げの良さが写真からもご理解いただけるでしょう。
ブレゲなどと異なり、ベルトゥーは没後にその名を冠した時計がありません。
当然、ブランドではないので、埋もれていた名前と商標はある人物が取得しました。
その人物は、カール-フリードリッヒ・ ショイフレ氏(通称KFS)。
そう、何度もこのブログで紹介している、ショパール = Chopard の共同社長です。
KFSはかつて親の反対を押し切ってL.U.Cを開発するなど、高級機械式時計、
特にムーブメントには並並ならぬ情熱を注ぐ、正統派の時計好きの経営者として知られています。
彼は2006年にフェルドィナンド・ベルトゥーの使用権を取得。
ベルトゥーの生家が、ショパール・マニュファクチュールのフルーリエの工房から
見える至近にある、と言う事も重要な理由の一つかと思われます。
しかしKFSは「ショパール」の延長線上にベルトゥーを使うことはありませんでした。ビッグネームは大事に温め続けられていたのです。
この辺が並みの経営者では無いところ。
KFSは密かにベルトゥーを復活するプロジェクトを開始します。
ショパールのフリーリエに工房にある私設時計ミュージアムである
“ L.U.CUM ” =リューシュウム (事前予約で見学可)に収蔵する彼の作品を徹底的に解析。現代に甦らせるには、既存のショパールの高級バージョンではなくて、
完全にベルトゥーの為のモデルを創造するために、全くのゼロベース、開発チームの招集から行っています。
KFS自身が、ベルトゥーの本を読み、手紙まで読解し
「ベルトゥーが腕時計を作るとしたら、どんな時計を作っていただろう?」
と思いを馳せ、そこから通常の時計メーカーなら採算度外視で実現不可能な
非常識なウオッチメイキングは始まりました。
10年もの間、社内でもトップシークレットだったKFSの個人的プロジェクトは
2015年に第1作
” Chronomètre Ferdinand Berthoud FB 1 ”
を発表します。
そしてこのモデルは2016年の秋に行われた、
2016 GPHG=Grand Prix L’Horlogerie Geneve「ジュネーブ時計グランプリ」で、
誕生わずか一年のブランドであるにも関わらず、
最高賞である大賞を受賞してしまい、それは驚愕と喝采で迎えられました。
ついにKFSのプロジェクトは日の目を見たのです。
もうだいぶ前の報告となるのですが、昨年の春に
フェルディナント・ベルトゥーの日本初のプロモーションイベントが行われました。
マスに訴求するブランドではないために、
それまで特にPRもイベントも殆ど行わなかった
とのこと。
日本は高級時計、しかも無名でもホンモノは正当に評価する文化があると言うことで
我が国でこれだけのイベントを企画したとの事でした。
嬉しい言葉です。
あの独立時計師ブームだって日本起源なのを、彼らは知っています。
マリンクロノメーターの祖ですから、運河に浮かんだ帆船のようなここが発表の場です。ベルトゥーがどんなルーツなのかを、会場からイメージさせるのは流石。
これこそマーケティング。
このプロジェクトを指導した
カール-フリードリッヒ・ ショイフレ氏自らが来日。
彼の口から、その詰まった拘りを聞く事ができたのです。
年産100本に満たないブランドに、あの多忙なKFSがわざわざプレゼンを行う。
それだけ重要な発表だったと言う事なのです。
開発責任者の
ヴァンサン・ラペール氏 = “ Vincent Lapaire ”
彼も超マニアックな問いに熱く答えてくれました。
彼も根っからの時計好き。話はベルトゥーだけに留まりません。
この様な時計には、マーケティング担当は不要です。
開発陣の熱い思いと、実機があれば伝わります。
時計の機能としてはマリンクロノメーターを範としているために
センターセコンドは絶対、当然レギュレーター仕様。
それをトゥールビヨンにコンスタントフォースの為のチェーンフュゼ(鎖引き)
と、凝りに凝った中身で駆動します。
当然COSC公認クロノメーターは取得。
前に書いたかもしれませんが、
実は腕時計のトゥールビヨンは精度を追求するクロノメーター向きではなく、
市場に出回るトゥールビヨンで、クロノメーター取得はほんの一部だけです。
最初から高いハードルを設定され、当たり前の様にクリアーするところは
KFSのベルトゥーへの深いリスペクトと、それを可能にした、フ
ルーリエのウオッチメーカー陣の恐るべきポテンシャルの高さです。
最初は奇異に映ったダイアルやケース形状も、ベルトゥーの歴史的な作品からのモチーフで、慣れると唯一無二、その存在感が引き立ちます。
機能重視の時計とは言え、
これ位の個性はムーブメントに負けないために必要でしょう。
複雑で立定的に造形され、考えうる最高の仕上げを施したムーブメントは、
1100を超えるパーツで構成されていて、見ていてため息ものです。
このパーツ数は最も複雑な機能を有するグランドソネリをも上回るもの。
歴史に裏打ちされた上に、実用性、美術性、希少性、
そして間違いなく資産性を持ち合わせるベルトゥーの時計は
手に入れたい逸品のトップなのです。
何よりこの時計があれば、ブランドネームを超越した満足と、
本数冊分を網羅したウンチクが付いてくるのです。
この時計があれば世界中どこのウオッチラバー達と会しても、
話題に中心となること請け合いです。
フェルドィナンド・ベルトゥー= “ Ferdinand Berthoud ”
についての問い合わせは
ショパール ジャパン プレス
104-0061 東京都中央区銀座2-4
TEL: 03-5524-8922
まで