久々ですが、

『太平記』に登場する大塔宮護良親王は、1331年鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇の息子で、熊野落(くまのおち)に関する伝説が各地域に残っています。

和歌山県の田辺市の旧大塔村は、大塔宮護良親王が逗留(とうりゅう)したという言い伝えが村名の由来でして、田辺市に行ったついでに、ここ大塔宮「ゆかりの地」に立ち寄りました。


田辺市鮎川の小川地区ですが、

餅搗かぬ里として大塔宮伝説が残っています。




看板には6世紀の風習を破り餅献上とあります。紹介しますと・・
大塔宮が大塔村の鮎川を通ったのは年の瀬で、空腹の大塔宮は地元の農民に餅をいただけないかと頼んだののですが、「見ず知らずの落人に施しはご法度。」どこの家からも断っわられたそうです。

後になって、大塔宮の一行だった知った人たちは、その無礼を詫びるため正月には餅をつかないようにしました。その風習を中世からずっと守ってきた小川地区の人々は、1935(昭和10)年、大塔宮の600年忌が鎌倉宮で開かれた時、餅を献上し過去の許しを乞うたそうで、それ以来、この地区では、正月の餅つきの行事が復活したとされています。


つづいて、

熊野釼の宮は、家臣の竹原兵庫守(竹原八郎の弟)が親王より頂いた御宝釼を御霊として祀ったとされる宮で、現在は近くの住吉神社に合祀(ごうし)されましたが、その跡地が分霊社として残っています。

住吉神社には釼が奉納されているようですが、親王ものではなく家臣のもの?のようです。

御宝釼は住職が売り捌いたと聞きましたが定かでないようです。)




歴史民俗資料館ですが、

入館時は電話するよう書かれておりまして、電話すると、地元の管理人の方が来られまして、親切に対応していただきました。

大塔宮など歴史資料はありませんが、古くからの里山の暮らし(古民具など)を展示していて、それなりに味わいがあり必見です。


はじめてみる狼の骨には少し驚き。



(レプリカなのか本物なのか?)




(これ何なのか忘れました。知っている人いませんか?)

最後に関係ないのですが、歴史民俗資料館から見たこの山並み、温泉のネーミングになったそうですが、何か知ってます。少し笑いますが、ちゃんと景勝地?として看板があります。




鹿茸(ロクジョウ)とは、雄の鹿の幼角(生えたての角袋のこと)を乾燥させたものです。
一般的に、鹿茸をそのまま酒に漬けたものを薬用酒として飲用しています。

人によっては、高麗人参と合わせ漬けるそうですが、
とにかく、滋養強壮、疲労回復など、効きめがあるそうです。




云われですが・・
牡鹿の角は生後3年目から毎年春に生え変わりますが、生え変わるときの急速な角の成長から、伸び始めの角の中には神秘的な栄養が詰まっていると信じられ、昔から薬として重宝されてきました。 
実際、栄養が詰まっていて、鹿の血液成分に、造血作用、滋養強壮作用があるようです。
又、角が若ければ若いほど、その角の先端になればなるほど価値があるとされています。 

販売されている中国の漢方薬の説明には、恐ろしいたくさんの効能が書かれています。

ただ、時期的に、このなかなかこの鹿茸、取れるものではありません。
                        
昔、
「猪の胆、熊の油、これだけは家に持っておけよ、猟師やったら!」
といわれ、鹿茸の焼酎漬けをコップいっぱい飲まされたことがありますが、

自分の記憶では、特に、元気とまでは・・・・・アップべーっだ!
もともと、元気ありますから。

自分の住む村は「筏師の村」として栄え、

この関係で、全国で珍しい和歌山県の飛び地の村となった訳ですが、

現在、奈良県、三重県に囲まれた面積48.21㎢、人口510人の小さな村です。


明治初期、和歌山県の編入された理由ですが、

筏に組んだ木材を、下流の集材場(新宮市)に運んでいた関係で、和歌山県の新宮市との経済的な結びつきが強く、当時、村民の意思によって、和歌山県になったように言われています。


さて、

北山村の筏流しが有名なのは、北山川の急流を命がけで流す筏師の技術にあり、600年の伝統あります。

ただ、当時の、筏流しは命がけで、高額な手当てがもらえる分、筏師の犠牲も多かったようです。


北山川の「難所中の難所」といわれた神護・音乗(下尾井)、獺戸滝(七色)では、岩を切り取り川幅を広げるなど安全に筏を流すための河川の大規模工事が行われた記録があります。

これらの場所では、想像を絶する急流、滝が続き、数多くの筏師が犠牲となっており、神護では不動様を、獺戸滝(七色滝)では妙法蓮華経塔を祀って供養したとされています。

(現在も、観光筏下りの開航式には神護で安全祈願の祈祷があります。)

改修した近くの岩肌には、今も当時の記録が刻まれており、これらの貴重な史跡を紹介します。

神護の神護磨崖文 明治40年2月改修)

筏関係者の指名が刻まれています。




獺戸滝(七色滝)の仏 明治4年改修

実利行者が護摩を焚き、鎮魂の為に刻んだといわれる南無阿弥陀仏の文字が岩肌に刻まれています。