十七代勘三郎が亡くなった後、私が注目していたのは十二代団十郎だけだった。
その後、十八代勘三郎も株を上げて来たので注目するようになったが、団十郎には及ばないし、私の関心の中心にあったのは常に十二代団十郎だった。
私が昔、ハロウィンパーティーで扮したのは、十代目海老蔵時代の団十郎が演じた『助六』で、大変好評だった。
とにかく、団十郎には華があり、肉眼でその舞台を観た事は無いけれど、いつかは観に行きたいと思っていた。
だからこそ、勘三郎が亡くなった時、「団十郎はまだ連れて行かないでくれ」と思ったのであるが、それは叶わなかった。
私がいつか生の舞台を見たい、或いは、会ってみたいと思いながら、それが叶わなかった人は何人目だろうか。
私は初め、この日記のタイトルを「天は無情」にしようかと思った。
しかし、人には計り知れない思し召しがあって、天は団十郎のこの世での命をこれまでとしたのだろう。
ならば、天は無情だから団十郎の命を終わらせたのでは無いわけで、この日記のタイトルを「天は無情」にするのは相応しくない。
それに対して異を唱えるのは僭越であって、天に唾をするのと同じ事だ。
人に過ぎない(人でなしだと言う意見もあるが)私はこれ以上の発言は控えなければならない。
それにしても、私の命を取り上げても良いから団十郎の命を持って行くのは止めてくれと願っていたのに、私の命如きでは何の足しにもならなかったのか、天は団十郎の命を召し上げてしまった。
これで、歌舞伎に関して言えば、是非とも生の舞台を観に行きたいと願う役者は居なくなった。
無念でならない。
【追記】
いや、一人だけ居た。
中村屋の重鎮にして歌舞伎界の最長老、二代目中村小山三、この人の舞台は是非観たい。
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市川団十郎さん、66歳で死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130204-00000006-mai-soci
弁慶や助六などの風格ある大きな舞台ぶりで歌舞伎界を代表する立ち役として活躍してきた十二代目市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名・堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。66歳。
歌舞伎座に出演中の04年5月9日に体調不良を訴えて入院。「急性前骨髄球性白血病」と診断された。08年には骨髄移植を受けるなど闘病しながら舞台を続けていた。
東京生まれ。江戸歌舞伎の名門、市川宗家十一代目団十郎の長男。1953年に市川夏雄を名乗って初舞台を踏み、58年に六代目市川新之助を襲名した。60年代には「寺子屋」の松王丸、「御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)」の五郎蔵など当たり役を演じ、同世代の尾上菊之助(現・菊五郎)さん、初代尾上辰之助(三代目松緑)さんと合わせて「三之助」と呼ばれた。
69年に十代目海老蔵を襲名。同年に日本大学芸術学部演劇科を卒業。東京・新橋演舞場で坂東玉三郎さん、片岡孝夫(現・仁左衛門)さんらと毎年のように公演を行い、海老蔵、玉三郎の顔合わせは「海老玉コンビ」と言われて人気を呼んだ。85年、十二代目団十郎を襲名した。初の米国での襲名公演も行った。
市川宗家の「家の芸」である「歌舞伎十八番物」の「勧進帳」の弁慶や「助六」、時代物では「仮名手本忠臣蔵」の由良之助、世話物では「四谷怪談」の伊右衛門、「河内山(こうちやま)」などの当たり役を磨いた。新作の創作にも取り組み、「成田山分身不動(なりたさんふんじんふどう)」(92年)などを自主公演した。
88年度日本芸術院賞、98年度芸術祭賞優秀賞を受賞。日本芸術院会員。著書に「歌舞伎十八番」がある。

