死にたい理由が下らなすぎて死にたい | 生まれてみたらホモだった死にたい

死にたい理由が下らなすぎて死にたい



「死にたい」とはいえ、実際の意味で僕は使っていないと思う。

思う、といったのは自分自身のことなのによくわかっていないからです。

死にたい=考えたくない、やめたい、苦しみたくない、自分が嫌い、

そういうものたちの集まりのような意味で使っているのでしょうか。

気になる人に振られてしまいました。

死にたいと思いました。

出席したパーティーで人に失礼なことをしてしまいました。

死にたいと思いました。

干した布団が雨にうたれました。

死にたいと思いました。

投げたゴミがゴミ箱に入りませんでした。

死にたいと思いました。

実際、振られたのが原因なわけでして。

それが故にすべての些細なことで死にたくなり、

結果すべてがうまくいかないような気持ちになって、

自分がだめな人間になってしまったように感じて、

理想の自分との距離がとてもとても開いたような気がして、

現実のこの自分を消してしまいたくなってしまいます。

でもこの現実の自分が実際の自分であります。

理想の自分など架空の生き物。

そのソースは案外映画やドラマであったりします。

陳腐です。

自己嫌悪している自分とされている自分。

されているほうが実際の自分です。

絶望している時は、

案外たった一つのことが理由だったりします。

それが永遠に続くような錯覚にとらわれてしまします。

こないだ寒くなったと思ったらまた暑いじゃねーか!!!!!

続くと思いきや繰り返していきます。