正しいことを間違っていると指摘されること
がある。
その理由は簡単で根拠をその場で説明できないからと
信頼がないからであると考えられる。
今日私は下記のような記述をしたドキュメントを作成した。
「~が予定通り進捗する」
ここで指摘が!
「"進捗する"という日本語はおかしい。進捗が予定通りでしょ?」って
私は
「進捗するって言いませんか?」
と言うと
「言わない!」
と断言された。
後で調べてみると、"進捗する"という言葉は
決して間違っていない。
"進捗が予定通り"という文言も確かに正しい。
私がかちんと来ているのは
「言わない!」
と断言され、その場で不愉快な思いをしたことだ。
正しいことを間違っていると思ったとしても
「こう思うよ。こっちの方が自然だと思うよ」
って言うなら、まだ納得いくのだが
「違う!おまえは間違っている」
と断言されるのは、おかしい。
私があの場で"進捗する"という文言が
日本語的に正しいことを証明することは難しい(日本語の先生でもないし)し、
そのことをウダウダ説明することに意味があるとも思わない。
その人が普段使っている言葉と違う文言を使ったら
いけないのでしょうか?
今でも納得がいかないのだが、これが世の常というものなのか?
その理由は簡単で根拠をその場で説明できないからと
信頼がないからであると考えられる。
今日私は下記のような記述をしたドキュメントを作成した。
「~が予定通り進捗する」
ここで指摘が!
「"進捗する"という日本語はおかしい。進捗が予定通りでしょ?」って
私は
「進捗するって言いませんか?」
と言うと
「言わない!」
と断言された。
後で調べてみると、"進捗する"という言葉は
決して間違っていない。
"進捗が予定通り"という文言も確かに正しい。
私がかちんと来ているのは
「言わない!」
と断言され、その場で不愉快な思いをしたことだ。
正しいことを間違っていると思ったとしても
「こう思うよ。こっちの方が自然だと思うよ」
って言うなら、まだ納得いくのだが
「違う!おまえは間違っている」
と断言されるのは、おかしい。
私があの場で"進捗する"という文言が
日本語的に正しいことを証明することは難しい(日本語の先生でもないし)し、
そのことをウダウダ説明することに意味があるとも思わない。
その人が普段使っている言葉と違う文言を使ったら
いけないのでしょうか?
今でも納得がいかないのだが、これが世の常というものなのか?