今回は久しぶりに仏教の瞑想にゃ!
仏教の瞑想といいながら実は日本古来の信仰から由来する古い瞑想法なのにゃ。
まず、西の方角に向いて坐る。
どうしても部屋のレイアウト上、西に向くのが困難であればこだわらなくても良い。
沈みゆく夕陽を思い浮かべる。
夕方の、なんとなく寂しげな1日の終わり
人生の晩秋
生命活動の終焉
夕方の空気感を感じ取りながら、
ひたすら夕陽を思い浮かべ、イメージの夕陽を見つめる。
5分から20分位続ける。
夕方を黄昏(たそがれ)と言うが、「たそがれ」とは「他そ彼」、つまり「あなたは誰ですか」から来ておる。
夕刻は生きている人と死者が交錯する時間帯なんじゃ。
昼間は生きている人が活動する時間帯、
夜は神や死者、魑魅魍魎が活動する時間帯、
その両方が交錯する時間帯が夕刻。
一番危険な時間であり、冥界と繋がる時間なんじゃ。
それで夕刻に現れた存在に「あなたは誰ですか、人ですか、神ですか、霊ですか」となるんじゃな。
危険な時間は同時に神聖なものと繋がるチャンスでもある。
夕陽を思い浮かべ夕陽そのものになることで、神道家なら天照大神と一体になり、仏教徒なら西方阿弥陀如来と一体になる。金剛乗ならば大日如来じゃな。
難しいことは抜きにしても日想観は安らぎを与える瞑想にゃり。
次回!「インディアンのナワール瞑想」お楽しみに!