まずは十法界瞑想をご紹介したい!
十法界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十の世界じゃ。略して十界とも呼ぶな。
十法界は世界のありようなんじゃが、同時に私たちの心の中にもあるんじゃ。
苦しみ(地獄)、貪り(餓鬼)、無知(畜生)、争い(修羅)、情け(人)、快楽(天)、学習(声聞)、孤高(縁覚)、慈悲(菩薩)、さとり(仏)という全ての生存のあり様が皆の心にそなわっているんじゃな。
天台宗では一念三千ちゅうて十法界が互いに他の九界を具足しあっている(十界互具)という。これで百界、
その百界にそれぞれ十如是があるから千如是、
千如是は五蘊(ごうん)世界・仮名(けみょう)世間・国土(こくど)世間の三種世間の各々にわたるので三千世間となる。
つまり十界×十界×十如是×三世間=三千となる。
これを心に観じるのが一念三千なんじゃが、
ちと大変じゃな。
それで最初の十法界だけを瞑想することにする。
それならぐっと簡単になるよのう。
まずは十法界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)を暗記するか、紙に書こう。
順番に瞑想するぞ!
まずは地獄ぢゃ。
人生で一番苦しかったことを思い出す。身体的な苦しみだ。
マラソン大会かな?それとも病気かな?その何万倍の苦しみが地獄の苦しみちゃ。そう観じる。
身体には自分の足の裏を意識する。足の裏で呼吸するイメージ。
次は餓鬼ぢゃ。
過去を振り返って欲しい!貪った記憶だ。欲張って食べすぎたり、要らないものを欲しがったりして来なかったか?その気持ちを何万倍した感情が餓鬼だ。
餓鬼は何か食べたくても食べ物が燃え上がって食べれない。飲みたくて喉がカラカラでも水が煮え滾るように喉を焼いて飲めない。飢え渇きに悩む感覚を観じる。
身体的には膝を意識する。膝で呼吸するイメージ。
次は畜生ぢゃ。
動物は無知じゃな。お互いに食われ食う。弱肉強食ぢゃ。野生の感覚で生きとる。
動物になりきって瞑想する!
身体的には仙骨をイメージする。背骨の末端だ。息を仙骨に吹き入れるようなイメージをする。
次は修羅じゃ。阿修羅原ぢゃないゆ。
争い好きな神々が修羅、阿修羅ぢゃ。
争う気持ちを思い出してみる。スポーツでもいい。汚い手でやられたことはないか?ムカついたこと。リアルに思い出す。その何万倍の感情が修羅ぢゃ。
身体的には腰(命門)、または丹田をイメージする。
次は人ぢゃ。
人は義理と情けぢゃな。義理を立てれば情けが立たぬ。そんな憂いがあるのが人ぢゃ。いつもの悩みを観じる。
身体的にはハート、心臓をイメージする。
次は天ぢゃ。神のことぢゃな。
お風呂に入って極楽、極楽とか、いいん気持ち~を思い出す。これが何万倍になっているのが天ぢゃ。
身体的には喉を意識する。
次は声聞ぢゃ。声聞とはお釈迦様の教えを聞いて墨守するお勉強熱心な方々ぢゃ。
しっかり勉強している時を思い出そう。
身体的には額をイメージする。
次は縁覚ぢゃ。縁覚とは独り孤高に悟りを開いてそれだけ、という人のことぢゃ。誰かを救ったりはしないけど悟りを開いた人ぢゃな。
インドの山奥で修行している聖者じゃな。レインボーマンじゃないゆ。
身体的には頭頂部を意識する。
次は菩薩ぢゃ。
菩薩は慈悲の塊じゃの。全ての生きとし生けるものを救うことを願っちょる。
いろんな菩薩さまがおるが、好きな菩薩さまを思い観ずればいい。
身体的には頭頂部が上に盛り上がって拡張したイメージぢゃ。仏像はそうなっちょるだろ?拡張された脳が智慧を意味する。
次は仏ぢゃ。
仏さまも慈悲深いが、より悟りに重点が置かれておられる。智慧が完成され磨きあげられた鏡のようじゃ。瞑想している仏陀を観ずる。
身体的には頭上30センチくらいに光り輝く仏の姿ぢゃ。
仏像をみると後背があるじゃろ?よく見ると後背にも仏がたくさんいる。あれじゃよ。
この瞑想を何回か繰り返そう。
慣れてきたら十法界がそれぞれ同時に観じるようにする。
これが出来るようになると十法界瞑想は完成ぢゃ。
難しいがチャレンジしてみてくれ!
次回!「挑戦!仮観瞑想にゃ!」お楽しみに!