妻沼線特集第4弾です。
身近な存在であったので、いつでも行けると思っていたので、もっと乗っておけばよかったと後悔するのも、親孝行と同じなのかもしれませんね。
 
 

熊谷に到着しようとするキハ2000です。
後ろの国鉄115系も今はもう無く、先日ラストランが行なわれたようで、息子が鉄に行ったようです。
さすがに血は争えませんね。
 
 
上熊谷を出発し、国道17号線をオーバークロスする築堤を登り始めたキハ2000です。
意外と高速でぶっ飛ばしていました。
TR29台車にプレート車輪の組み合わせで、短いレールを渡るときの、カンカンする音がまだ耳から離れません。
 
 
右に秩父鉄道と上越新幹線を眺めて、妻沼を目指します。
 
 
終焉間もない頃、重連となってヘッドマークを掲げて走っていました。
上熊谷の鎌倉町踏切からの撮影です。
 
 
今は秩父鉄道も走る線路を進みます。
 
高崎線をオーバークロスする橋梁を渡るキハ2000重連です。
現在この辺りには若干遺構が残っています。
 
 
上熊谷駅を出発したキハ2000重連です。
この位置に今も道路がオーバークロスしており、このような画角の写真が撮れるものと思います。
 
 
国道17号線をオーバークロスする橋梁を渡るキハ2000重連です。
車を運転中にこのような光景に出会ったら、嬉しくなってしまいますね。
 
 
途中駅大幡でのショットです。
満員電車状態で、このような状態がいつもならば、廃止は免れていたかも知れません。
尚、大幡には熊谷市立女子高校があり、女子高生の下車が多かったですが、この高校自体廃校になってしまいました。
 
 
お地蔵様とキハ2000です。
もう妻沼駅はすぐそこです。
 
 
 
熊谷農業高校の裏辺りを走行するキハ2000重連です。
サイドビューから、模型化の参考になるのでは。
 
高崎線をオーバークロスする築堤を登るキハ2000です。
 
路地から顔を覗かせたキハ2000です。
このような光景は日常生活の一部だったのでしょう。
 
 
上熊谷駅に到着したキハ2000です。
左側は秩父鉄道のホームです。
現在、妻沼線側のホームには柵がありますが、線路は残っています。
 
 
最終日最終列車が到着した妻沼駅です。
いつの時代も最終日はこんな祭り状態になります。
この写真を撮って、妻沼線とキハ2000に別れを告げて、その頃乗っていた愛車のバイクDAXで自宅の行田に向かいました。