僕はこの夏、旅をした。

1991年 夏 グアテマラ

 

1991年5月3日(金曜日)快晴

 

暑い。

やっとファイナル(期末テスト)が終わる。今回はマジで泣きたかった。だからその分うれしい。朝、レポートを提出した。

留学も2年目になり、授業も専門的になってきた。本当の英語力が試される。試験だけでなく長いレポートも全教科で要求された。辛かったが、その分達成感もありうれしい。

明日から旅に出る私のために、ルームメイトのリオンがビールを買って来てくれて乾杯。みんなの友情にひたすら感謝。友。素晴らしい。

さあ、これからまずは電車で14時間の旅が始まる。この時間をいかに過ごすかにこれからがかかっている気がする。ああ、うれしい。これから新しい人生が始まる。

 

ただいまのの状況

*スペイン語が全くわからない

*どこに行ったらいいか分からない

やるぞ!

 

23時30分 コロンビア発 アームトラック車中にて 

                           ――日記より(原文)

 

1991年、アメリカ南部サウスカロライナ州コロンビア市で、サウスカロライナ大学の2年生。

 

僕の留学した1988年から、この1991年までといえば日本はバブル経済で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、日本人が世界に対して自信を持っていた頃だ。

 

当時世界はアメリカとソビエト連邦が冷戦状態で、世界は二極化していた。当時のジョージH.W.ブッシュ大統領は、パナマ侵攻や湾岸戦争に突入し、アメリカ経済は後退。アメリカは自信をなくし始め、治安はさらに悪化した。


中南米などは常に内戦の戦火が飛び散り物騒な世の中だった。

 

この時、僕は大学で国際政治学を学び、妙な正義感に燃えていた。世界の動乱の中、国際政治学を学ぶことに酔っていた。

 

アメリカの大学は5月から9月の約4か月は夏休みとなる。毎年その期間は日本に帰り、アルバイトして1年分の学費を稼いでいた。しかし、この年の夏は世界を見てみたいと思った。

 

そこでアメリカ以外の国への留学に踏み切った。選んだ基準は「安くて、近くて、苦労ができる」ところ。

 

校内の海外留学相談室の資料室に授業が終わると通っていた。そこで生まれて初めて耳にした、中米のグアテマラという国。なぜかこの国に惹かれた。

 

グアテマラのケツァルテナンゴにある語学学校に1か月の予定で、スペイン語の留学を計画した。

 

恐らく安易な国選びだったに違いない。

 

それがその後の私の人生に大きく影響を与えるとは、このときは予想だにしなかった。

続く。

 

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