軍艦島 | TaBi-log

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1980年代の世界を旅した記録を中心に、映画、音楽、酒やコレクションを紹介します。

長崎・端島こと軍艦島に行ってきました。
でも、勝手に行ける訳ではなく、『軍艦島上陸クルーズ』のようなものを提供している団体に予約していかなければ行けません。しかも、天候次第で運休になる日も多いようです。

丁度、長崎ランタン祭りも重なって、予約が取れない状況でしたが、1社のみ僅かでしたが空いていたので即予約。

天候が悪く、3日間船が出ていなく、また午前の便も運休となっており、お昼前に半分あきらめながらスマホで運航状況を確認 「条件付きで運航(軍艦島への上陸は現地で船長判断です)」!

やったー! イタリアのカプリ島の青の洞窟も1回で入れたので運の強さを信じて、長崎港ターミナルへ!

窓口で、料金を支払い、誓約書を書いて提出。
乗船カードを渡され、時間まで待機。
 

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乗船開始

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クルーズ開始! 長崎港内を端島に向かって右手側に三菱造船所の産業革命遺産が目に入ってきます。

ジャイアント・カンチレバークレーン

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写真中央の緑色の逆L字クレーンです。
1909年に日本初の電動クレーンとしてイギリスより輸入。150トンまで持ち上げられるもので、現在でも現役で活躍中。


第三船渠

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No.3DOCK と書いてあるところ。
1905年に完成し、当時は東洋最大のドック。
第一、第二船渠は作り替えられており、第三船渠が現存する最古のもので、現在も使用している。
 

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世界最大級の大型客船。
三菱はこの大型客船を2隻受注しが、納期の遅れや相次ぐ火災などでかなりの損失が出るようです。本日のネットニュースにも出ていました。
 

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2005年に完成した女神大橋の下を抜け、外海に出ます。
波高くなってきました。
 

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三菱の100万トンドック。ここでも世界最大級の大型客船の1隻が造船中です。
 

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クルーズ船は、2階デッキの右側の最前列が一番いいです。
写真も邪魔なく取れますし。
でも、風が強く、寒いし、揺れる! 防寒具は忘れずに!

軍艦島が見えてきました!

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右側の白っぽいビルが、端島小中学校
 (この写真では見にくいですが、小中学校の前に体育館)
左側の黒いビルが、鉱員の社宅と屋上に幼稚園

 


端島は、もともとは現在の3分の1ぐらいの大きさで、6回の拡張工事を通してこのような形の島になったようです。護岸工事を拡張したようです。

 

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船着き場のドルフィン桟橋です。
さて、上陸できるか?

 

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無事、上陸できました。
まるで、手つかずのローマ遺跡のようです。

 

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上陸後は、2班に分かれボランティアの方から説明を聞きます。
この女性のボランティアの方は、数年間この端島に住んでいたようで、その当時のことをお話ししていただけました。
第1見学広場

 

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丘の上に見える4階建てのビルは、三菱の管理職(課長以上)向けの社宅。
鉱員社宅は風呂、トイレはすべて共同の物だったようですが、この管理職向け社宅には、各部屋に風呂とトイレがあったようです。
また、このビルの横に端島で唯一の木造2階建ての一軒家があったそうです。鉱長の社宅として。

端島神社 三角屋根の建物

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第2見学広場
総合事務所跡

 

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ここには鉱員のために3つの共同浴槽があったようです。
入る順番も決まっていて、最初の浴槽はいつも真っ黒だったようです。
服を着たまま入っている人もいたようです。

第二堅坑坑口桟橋跡

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主力坑だった第二堅坑へ行くための入口です。
ここからエレベータで下に。
現在のデパートとかであるエレベータの6倍の速さで降りて行ったようです。
(降りるというよりは、落ちてるんだよね)

第3見学広場
30号棟・31号棟アパート

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1916年日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が作られ、最盛期には人口約5300人と当時の東京の人口密度の9倍にも達した。
人口増加のため電力不足になり、1918年隣の高島から海底ケーブルが引かれ送電された。また、飲料水も当初は、海水を蒸留したり給水船で運んだりしていたが、1957年に対岸の長崎半島から6500メートルの海底給水管がひかれ送水された。

島民の生活も豊かだったようで、1958年にはテレビの普及率が100%だったようです。
その頃の東京でのテレビ普及率は、20~30%だったことを考えると、凄いですね。

端島(軍艦島)には、この他、病院や隔離病棟、映画館、マーケットなど生活するうえで必要以上のものがあったようです。

端島は、炭鉱を掘るための島であり、この島は西からの風が強く、炭鉱を守るために鉱員社宅などの生活エリアはすべて今の西側にあり、この社宅群が炭鉱施設を守る形をとっていたようです。

西側海上からみた軍艦島

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この角度から見た端島は、軍艦「土佐」に似ていることから、「軍艦島」と呼ばれるようになった。

 

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クルーズ船1階の様子


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軍艦島に関する写真や資料が掲示されており、帰りの船内では軍艦島に関するビデオも放映され勉強になります。

最後に長崎港内で世界遺産のひとつに登録されている「ソロバンドッグ」を見て終わりです。

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下船時に、軍艦島上陸証明書なるものを頂けます。

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今回、軍艦島上陸ツアーに参加して、とても良かったです。
ボランティアの方が仰っていましたが、
軍艦島をただの世界遺産、廃墟として見るのではなく、この端島が、ここで働いた人々が日本の近代化を支えた。この端島がなければ、日本の近代現代はなかったことを伝えたい。

ありがとうございました。