<位置> 埼玉県秩父市黒谷 36°02′52″、139°06′26″

<岩石名> 

<何がすごいの> 和同開珎をつくった銅を産出した場所

<地図>

 

 

〇銅が採れたことはどうしてわかるのですか?

◆朝廷か貴族の記録に残っているのではないでしょうか。少し調べましたがわかりませんでした。西暦708年(慶雲5年)正月11日、朝廷に銅が献上されたそうです。元明天皇はこれをとても喜んで元号を和銅に変更したそうです。その後、日本最古の流通貨幣といわれている和同開珎の原料として使われたとのことです。

〇どこで銅が採れたのですか?

◆和同開珎大型モニュメントのわきの小さな川の向こう側に銅を採掘してできた縦長の溝が2つあります。ここで地表から銅を直接採掘したようです。このような掘方を露天掘りといいます。

〇銅の産出状態から何がわかるのですか?

◆採掘跡は2列の細長い溝状になっています。地質学的にいうと、約2億年前の秩父古生層のチャートと約1500万年前の第三紀層の砂岩の境界は断層(出牛-黒谷断層)になっています。その断層の破砕帯(岩石がグチャグチャになっているところ)で自然銅が発見されました。秩父古生層を含む三波川帯には含銅硫化鉄層がいくつかあり、ここでも破砕帯に銅を沈殿させる活動があったと思われます。一つの可能性として、熱水に溶け込んだ銅が破砕帯に沿って移動して析出したと考えることもできます。