青森県深浦町関という集落の近くに,甕杉という大きな杉の木があります。この下に板碑があり「関の甕杉の板碑」とよばれています。


古来,西浜(現在の青森県の西部の海岸地域)は板碑が多く存在し,時に関の甕杉(亀杉ともかく)の下にある板碑は古碑として広く知られており,その数は県内第2位の多さである。板碑というのは板石塔婆ともいい,鎌倉時代から室町時代にかけて,追善や供養などの目的でつくられたもので,中世の社会・文化を知る資料に穂とつとされている。関の甕杉の下には42基あり,このうち年代が明らかなものが28基,年代不詳のものが14基である。

<関の甕杉>


 

<関の甕杉>

 

<関の甕杉の入り口標識>
 


<関の甕杉の入り口標識の表とその内容>
「あみだ杉とてとのほとりにあり」(現在はない)「かめ杉は山ぎはの小高き処にあり,その木のもとに「貞和3年(1347)の石ぶみどもたてり」と記している。当時この杉の下に石碑が置かれていた。
 

<関の甕杉の入り口標識の裏とその内容>
深浦町を出立して鰺ヶ沢に向かう真澄は,寛政9年(1797)5月7日(「つがろのおち」),関邑の安浄寺の「しりよりいりて」甕杉,阿弥陀杉を見る。

 


<関の甕杉の板碑>
 

<関の甕杉の板碑>
 

<関の甕杉の板碑>
 

<関の甕杉の板碑>
 

<関の甕杉の板碑の説明板>
 


 


 

<関の甕杉の板碑の説明板とその内容>
関の甕杉と古碑群
甕杉はこの地方の遊覧した菅江真澄の記録にも図示され,甕の形に似ているのでこう名付けられた。たらちねの大銀杏と共の安東氏ゆかりのものか。推定年齢は1000年。樹下の古碑(板碑)は南北朝時代(14世紀)安東一族によって立てられ,北朝年号が刻まれている供養塔で,付近の田畑に点在していたものを,ここに安置した。
阿称号の人もあるので時宗の影響も考えられる。

 

<関の甕杉の板碑の説明板とその内容>
県指定史跡
関の古碑群 昭和30年1月7日指定
この古碑は61cm~160cmある大小不同の自然石を使用した供養碑で,この場所から42基出土されており,最も古い碑は暦応3年(1340)で新しいのは応永8年(1401)と判明しています。
この碑には死者の冥福を祈る追悼供養碑と,生前に仏事を修めて私語の冥福を祈念する逆修石塔があります。
碑面には安倍という性が刻まれていることから,その一族を供養するために立てられたと推測され,また,この周辺には城跡があり,「折曽の関」といわれていることから,歴史的に重要な資料であります。
zふうは敵には”阿号”が判明されているので,一辺上人を開祖宗祖とする時宗の信徒によったと考えられます。
深浦町教育委員会