平成二十三(2011)年三月五日、十八時四十分より、国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟101号室
において、内モンゴル人民党主催によるシンポジウム「良心の囚人を救え」-中国共産党の人権弾圧の実態-と題するシンポジウムが開催され、当日会場には約三百名を超える人々が集まった。
このシンポジウムに関して内モンゴル人民党は次のような文章を発表している。
「モンゴル人の人権を求めたハダ氏、海外のメディアのインタビューを受けただけのハイレット氏、チベット人の実態を映画にしたドゥンドゥプ氏、中国で民主主義を実現しようと08憲章を提唱した劉氏、彼らは最長で懲役15年の刑を受け服役しています。彼らのように言論や思想により、不当に投獄されている人々を「良心の囚人」といいます。
中国の目覚しい経済発展の影には、数多くの知られざる人権侵害の実態があります。
南モンゴルでは1950年代から民族同化政策が実施され、漢人による圧倒的な人口圧力を受けているモンゴル人の言葉や伝統的な文化は、まさに消滅の危機にあります。東トルキスタンとチベットにおいても現在進行形で人口侵略と同化政策が推進されています。また、自分達の文化や言語を守り、真の自由を求める人々の言論は制限され、多くの市民が取り締まられています。
中国本土においても、民主活動家や法輪功の信者に対する拷問や処罰が続いており、農村部の貧困問題や生活環境の汚染も放置され、今も多くの人民が、苦しんでいます。
政府に批判的な人民を、その人々に委託されたはずの権力を用いて弾圧するような現代中国の政治体制は、中国共産党の誇る「近代」が実体のないものであることを自ら証明しています。
このように、東アジアの諸民族が、自由で民主的な社会の中で繁栄し、民族文化を興隆させることを阻んでいるのは、中国共産党政権に他なりません。逆に中国共産党に反対して囚われている人々こそ、人類の良心であり、我々の社会を明るい未来に導いてくれる大切な存在です。
良心の囚人たちの存在に目をつむるのではなく、国や民族を超えて民主主義と平和を愛する者同士が連帯し、勇気を持って立ち向かい、良心の囚人の解放を求めていきましょう。
内モンゴル人民党」
このシンポジウムの第一部では、司会 リ・ガ・スチント(内モンゴル人民党日本支部副代表)の下、ケレイト・フビスガルト内モンゴル人民党幹事長が「ハダ氏について」話し、これに続いてジリガラが、南モンゴル人権情報センターからのメッセージを発表した。
また、日本ウイグル協会々長のイリハム・マハムティ氏が「ハイレット・ニヤズ氏について」語り、チベット問題を考える会の小林秀英師が「ドゥンドゥプ・ワンチェン氏について」報告した。
そして゜民主中国陣線の王戴氏からは「劉暁波氏について」の発言があった。
四氏が釈放を訴えたそれぞれの良心の囚人とは次のような人たちである。
〇ハダ(Khadaa)
1955年 内モンゴル自治区興安盟ホルチン右翼前旗に生まれる。
1989年 内モンゴル師範大学哲学碩士
学生時代から南モンゴルの民主運動に参加し、1992年に南モンゴル民主連盟を創設する。
1995年12月10日、自著『南モンゴルの出
路』の中で、中国国内のモンゴル人の居住地域を分離して実効的な民族自治国を設置し、将来的にはモンゴル国と統一するべきであると主張したとして、「国家分裂罪およびスパイ罪」によって懲役15年の刑を受けた。
服役中彼は、その罪を認めず、転向を拒否
し続けたため、刑期は1日も減軽されなかった。
2010年12月10日に釈放されたハダ氏は、自宅に帰ることはなく、現在は家族とともにフフホト市内にある人民解放軍の招待所に監禁されており、一般人と面会できない隔絶状態に置かれている。
○ハイレット・ニヤズ(Gheyret Niyaz)
1982年 北京の中央民族学院(現在の中央民族大学)を卒業。
その後「新疆法律新聞」などでジャーナリストとして活動。中央民族大学・イリハム・トフティ副教授が運営するサイト「ウイグルオンライン」などでウイグル情勢を漢語で告発したことでも知られている。
2009年7月のウルムチ事件以後、外国人記者から複数回取材を受けたことに対し「国家機密漏洩」の口実によって中国当局に拘束される。
2010年8月の裁判では、ジャーナリストとしての自身の行動について正当性を主張したが、判決は禁錮15年。現在は刑務所に服役中とみられている。
○ドンドゥプ・ワンチェン(Dhondup Wangchen)
1974年 青海省海東州化隆回族自治県に生まれる。
北京五輪を直前に控えた2008年3月に、抑圧に耐えかねたチベット人の怒りが爆発、騒乱が起きるそのチベット人の思いを伝えるため、35歳のドゥンドゥプ・ワンチェンは100名を越える一般のチベット人たちのインタビューを行い、そのテープは"LEAVING FEAR BEHIND(ジグデル)"としてまとめられた。
本人は、騒乱の最中、2008年3月に中国当局に拘束され、懲役6年の判決を受けたことが判明した。
家族によれば、彼は拷問を受け、獄中でのひどい扱いからB型肝炎に感染した可能性があるものの、十分な手当を受けていないという。
2008年にチベット各地で起きた騒乱での逮捕者への判例と同様、ドンドゥプ・ワンチェンに対する公判は、一方的に不利な状況で、しかも非公開で行われたものと見られる。現在控訴中で、上級審での判断が注目される。
○劉曉波(Liu Xiaobo)
1955年 中国・吉林省長春に生まれる。
コロンビア大学の研究生としてアメリカに滞在していた。
アメリカ滞在中に、中国の自由、民主、人権、法治を訴える中国民主化を主張する雑誌『中国の春』を知り中国民主化運動に参加する。
1989年、中国民主化運動が胡耀邦総書記の死去をきっかけに昂揚したためこれに参加すべく帰国し、北京の学生運動に合流し、他の知識人らと共に、中共政府に対して抗議活動を展開した。
この天安門事件によって同氏は、「国家反逆罪」によって投獄される。
出獄後の2008年、中国に民主化を求める「零八憲章」の主な起草者として再び中国当局に身柄を拘束され、「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決を受け、現在服役中。
2010年には中国の民主化と基本的人権の促進への運動が評価され、ノーベル平和賞受賞した。これによって彼を「反逆者」として拘束し続ける中国共産党政府に対して、世界は改めて中国共産党一党独裁体制の恐怖政治を認識させることとなった。
このシンポジウムを主催した「内モンゴル人民党」とは、1997年3月20日、米国のプリンストンで設立された南モンゴルの民族独立を求めるモンゴル人によって設立された団体で、主席はショブチョード・テムチルト。
同組織は、チベット、ウイグルの民族運動家をはじめ中国民主化運動家らと共に中国共産党による人権蹂躪と民族絶滅政策に反対し、活動をしている。
現在は米国の他にドイツ、スウェーデン、フランス、オランダ、モンゴル、そして日本に支部があり、南モンゴルで弾圧されている人々の支援活動を行っている。
尚、その党名は文化大革命中に中国共産党が組織的にモンゴル人のジェノサイドを行った内モンゴル人民革命党粛清事件に由来している。

において、内モンゴル人民党主催によるシンポジウム「良心の囚人を救え」-中国共産党の人権弾圧の実態-と題するシンポジウムが開催され、当日会場には約三百名を超える人々が集まった。
このシンポジウムに関して内モンゴル人民党は次のような文章を発表している。
「モンゴル人の人権を求めたハダ氏、海外のメディアのインタビューを受けただけのハイレット氏、チベット人の実態を映画にしたドゥンドゥプ氏、中国で民主主義を実現しようと08憲章を提唱した劉氏、彼らは最長で懲役15年の刑を受け服役しています。彼らのように言論や思想により、不当に投獄されている人々を「良心の囚人」といいます。
中国の目覚しい経済発展の影には、数多くの知られざる人権侵害の実態があります。
南モンゴルでは1950年代から民族同化政策が実施され、漢人による圧倒的な人口圧力を受けているモンゴル人の言葉や伝統的な文化は、まさに消滅の危機にあります。東トルキスタンとチベットにおいても現在進行形で人口侵略と同化政策が推進されています。また、自分達の文化や言語を守り、真の自由を求める人々の言論は制限され、多くの市民が取り締まられています。
中国本土においても、民主活動家や法輪功の信者に対する拷問や処罰が続いており、農村部の貧困問題や生活環境の汚染も放置され、今も多くの人民が、苦しんでいます。
政府に批判的な人民を、その人々に委託されたはずの権力を用いて弾圧するような現代中国の政治体制は、中国共産党の誇る「近代」が実体のないものであることを自ら証明しています。
このように、東アジアの諸民族が、自由で民主的な社会の中で繁栄し、民族文化を興隆させることを阻んでいるのは、中国共産党政権に他なりません。逆に中国共産党に反対して囚われている人々こそ、人類の良心であり、我々の社会を明るい未来に導いてくれる大切な存在です。
良心の囚人たちの存在に目をつむるのではなく、国や民族を超えて民主主義と平和を愛する者同士が連帯し、勇気を持って立ち向かい、良心の囚人の解放を求めていきましょう。
内モンゴル人民党」
このシンポジウムの第一部では、司会 リ・ガ・スチント(内モンゴル人民党日本支部副代表)の下、ケレイト・フビスガルト内モンゴル人民党幹事長が「ハダ氏について」話し、これに続いてジリガラが、南モンゴル人権情報センターからのメッセージを発表した。
また、日本ウイグル協会々長のイリハム・マハムティ氏が「ハイレット・ニヤズ氏について」語り、チベット問題を考える会の小林秀英師が「ドゥンドゥプ・ワンチェン氏について」報告した。
そして゜民主中国陣線の王戴氏からは「劉暁波氏について」の発言があった。
四氏が釈放を訴えたそれぞれの良心の囚人とは次のような人たちである。
〇ハダ(Khadaa)
1955年 内モンゴル自治区興安盟ホルチン右翼前旗に生まれる。
1989年 内モンゴル師範大学哲学碩士
学生時代から南モンゴルの民主運動に参加し、1992年に南モンゴル民主連盟を創設する。
1995年12月10日、自著『南モンゴルの出
路』の中で、中国国内のモンゴル人の居住地域を分離して実効的な民族自治国を設置し、将来的にはモンゴル国と統一するべきであると主張したとして、「国家分裂罪およびスパイ罪」によって懲役15年の刑を受けた。
服役中彼は、その罪を認めず、転向を拒否
し続けたため、刑期は1日も減軽されなかった。
2010年12月10日に釈放されたハダ氏は、自宅に帰ることはなく、現在は家族とともにフフホト市内にある人民解放軍の招待所に監禁されており、一般人と面会できない隔絶状態に置かれている。
○ハイレット・ニヤズ(Gheyret Niyaz)
1982年 北京の中央民族学院(現在の中央民族大学)を卒業。
その後「新疆法律新聞」などでジャーナリストとして活動。中央民族大学・イリハム・トフティ副教授が運営するサイト「ウイグルオンライン」などでウイグル情勢を漢語で告発したことでも知られている。
2009年7月のウルムチ事件以後、外国人記者から複数回取材を受けたことに対し「国家機密漏洩」の口実によって中国当局に拘束される。
2010年8月の裁判では、ジャーナリストとしての自身の行動について正当性を主張したが、判決は禁錮15年。現在は刑務所に服役中とみられている。
○ドンドゥプ・ワンチェン(Dhondup Wangchen)
1974年 青海省海東州化隆回族自治県に生まれる。
北京五輪を直前に控えた2008年3月に、抑圧に耐えかねたチベット人の怒りが爆発、騒乱が起きるそのチベット人の思いを伝えるため、35歳のドゥンドゥプ・ワンチェンは100名を越える一般のチベット人たちのインタビューを行い、そのテープは"LEAVING FEAR BEHIND(ジグデル)"としてまとめられた。
本人は、騒乱の最中、2008年3月に中国当局に拘束され、懲役6年の判決を受けたことが判明した。
家族によれば、彼は拷問を受け、獄中でのひどい扱いからB型肝炎に感染した可能性があるものの、十分な手当を受けていないという。
2008年にチベット各地で起きた騒乱での逮捕者への判例と同様、ドンドゥプ・ワンチェンに対する公判は、一方的に不利な状況で、しかも非公開で行われたものと見られる。現在控訴中で、上級審での判断が注目される。
○劉曉波(Liu Xiaobo)
1955年 中国・吉林省長春に生まれる。
コロンビア大学の研究生としてアメリカに滞在していた。
アメリカ滞在中に、中国の自由、民主、人権、法治を訴える中国民主化を主張する雑誌『中国の春』を知り中国民主化運動に参加する。
1989年、中国民主化運動が胡耀邦総書記の死去をきっかけに昂揚したためこれに参加すべく帰国し、北京の学生運動に合流し、他の知識人らと共に、中共政府に対して抗議活動を展開した。
この天安門事件によって同氏は、「国家反逆罪」によって投獄される。
出獄後の2008年、中国に民主化を求める「零八憲章」の主な起草者として再び中国当局に身柄を拘束され、「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決を受け、現在服役中。
2010年には中国の民主化と基本的人権の促進への運動が評価され、ノーベル平和賞受賞した。これによって彼を「反逆者」として拘束し続ける中国共産党政府に対して、世界は改めて中国共産党一党独裁体制の恐怖政治を認識させることとなった。
このシンポジウムを主催した「内モンゴル人民党」とは、1997年3月20日、米国のプリンストンで設立された南モンゴルの民族独立を求めるモンゴル人によって設立された団体で、主席はショブチョード・テムチルト。
同組織は、チベット、ウイグルの民族運動家をはじめ中国民主化運動家らと共に中国共産党による人権蹂躪と民族絶滅政策に反対し、活動をしている。
現在は米国の他にドイツ、スウェーデン、フランス、オランダ、モンゴル、そして日本に支部があり、南モンゴルで弾圧されている人々の支援活動を行っている。
尚、その党名は文化大革命中に中国共産党が組織的にモンゴル人のジェノサイドを行った内モンゴル人民革命党粛清事件に由来している。
