初めてのブログとなりますが、思いを綴っていく。
まずは、いつも小説を読んでくれる方々、ありがとうございます。
そもそも私が、なぜ小説を書き始めたかという話をしよう。
理由は、単純に「自分の思いや考えを伝えたい」からだ。
あれを小説と呼んでいいのかわからないが、小説アプリで「鬱日記」を書いたことがある。
(書いたことがあるというよりは、書いているという方が正しいか…(^-^; )
鬱を少しでも多くの人に知ってもらう・理解してもらうために。
正直鬱という病気は、いきなり身近な人が鬱になっても、知識がないと誤解してしまうものだ。
そのため、よく「鬱は甘え」「鬱は本当に病気なのか」「目に見えるものではないから、どうしていいのかわからない」などと言われる。
また、急に鬱と申告された本人も暗闇の中で不安に駆られるだろう。
「少しでも、鬱の現状を知ってもらうことができたら」そういう思いで始めたものだ。
もちろん、専門家がいくつも鬱に関しての本を出している。
しかし、いくら勉強しても、なった本人にしかわからないこともあると思っている。
もちろん、原因・症状・思いは人それぞれだが、多くの鬱患者の中の、1個人の鬱人生を記したものと思っていただければ。
その鬱日記を書き始めようと思う前は、鬱病の真っただ中だった。
実際、死のうと思っていた。
「死にたい」というよりは、「楽になりたい」という表現の方が、私には近かった。
アームカットもしたし、駅のホームを歩いているときには、「ここから落ちたら苦痛から解放されるのか。」
JRに乗っているときには、「窓から落ちたら…。」など、いつ何をしてもおかしくないところまで来ていた。
アルコールと処方薬を少し多めに飲んでみたり、遺書を用意してみたり、一番楽で確実な自殺方法を考えたり。
今思い出しても、本当に危なかった。
しかし、そんな中ある人に言われた。
私をよく面倒見てくれていた人と久しぶりに会った時だ。
私は、鬱になるまで・なってからの経緯を話し、傷つけてしまった腕を見せた。
その時に、「この体は、両親がくれたものだぞ。俺もお前は俺の子供だと思っている。悲しませたいか?やめろって言ってはいけないのはわかっている。けど、ここで終わっている今はいいかもしれないけど、怖いのは手首とかにいった時なんだよ。お前が本当に死んだらどうする?お前のことを大切に思っている人たちは、ずっとその悲しみを背負って生きていくことになる。少なくとも、俺は自分を責める。」
経緯を話しているときから、泣いていたが、この人の言葉を聞いて、涙がどんどん溢れていた。
真剣に心配してくれ怒ってくれて、目に涙まで溜めて。
誰にも話したことがないという、辛い過去まで打ち明けてくれた。
その時に思った。
この人や、大切な人に悲しいものを背負わせたくないと。
そして、「どうせ死ぬのなら、やりたいことや自分にできることをやってから死のう」そう決めた。
そこで、始めたのが、鬱の現状を少しでも広めること。
死ぬと思っているくらいなら、申し訳ない程度の文章力でも実際に体験した辛さ・思いを残そうと思った。
それが、小説を書こうと思ったきっかけだった。
それと並行して、もう1つの小説を書き始めた。
その小説にも、多少であるが鬱を話に組み込んである。
私はずっと読む専門だったため、まだうまく構成や表現ができないが、今は書くことで伝えることができると信じて続けている。
多くは望まない。伝えたい思いの少しでもいい。1人でもいい。
この思いが届く人のところへ届けばいい。
ブログを始めたきっかけについては、また後日、記したいと思う。