私自身、発症当時、某大学病院の勤務医でした。闘病期間をへて、さまざまな政治的圧力や人的な軋轢もあって、退職せざるを得なくなりました。その後、同門会誌に寄稿してくれ、と言われ、2018年の正月に書いた文章を、専門的な部分や私的な部分を削ったり注釈をいれたりして、一部改変・抜粋して掲載させて頂きます。闘病期間の概略が分かると思います。

 

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今から約5年前の2月26日、多くの方がご承知のように大病を患った。Stage 4bの末期ガンだった。原発巣は小さく自覚症状はほとんどなかったが、極めて低分化(㊟悪性度が高く、浸潤や遠隔転移などを短時間に容易に起こしてしまう状態)で、肝臓に10個ぐらいの多発転移と縦郭(㊟食道や心臓の周りの部分)のリンパ節のほとんどの部分や肝門部まで本当に沢山の転移巣があった(㊟のちに肺にまで転移が及ぶ)。治療しなければ生命予後は3カ月と言われた。検査結果すべてを見せられたから、そんなもんだろう、と思った。志半ばだったので、無念だった。悪魔に魅入られたようであった。当初はどうやって最期を迎えるかということばかりを考えていたが、まだやりたいことがあったので、文字通り命がけで戦った。忖度などしていられないので、主治医に言いたいことを言い、治療はもちろん、検査ひとつにも色々口を出した。煩い患者だったと思うが、嫌な顔一つせず本当に良くしていただいた。私より若いが大変素晴らしい方で、医師としてあるべき姿を彼を通して学ばせて頂いた。極めて低分化だったのが逆に幸いし(㊟低分化なものほど抗がん剤や放射線治療が効きやすい傾向にある)、化学放射線療法が奏効した。奇跡的に4年前の5月15日にガンは完全に消えうせた。私自身が症例報告として論文となり、つい2週間前に英文誌にアクセプトされたと主治医からご報告を受けた。症例報告になることが闘病期間中の目標でもあったので素直に嬉しかった。

 

この5年間は今までの私の人生で、体調だけでなく一番困難が重なった時期であったが、多くを学ばせて頂いた。おかげで大概のことには驚かなくなった。人が良く見えるようになった。生意気だが、人生で大切なものが何かわかるようになった気がした。陳腐だが家族と本当に心を許せる友がそれだと思った。あの世には名誉もお金も持っていくことは出来ない、と痛切に感じた。小金や肩書にこだわることや、学会や院内の政治は全く以って人生の無駄だと思った。医師の仕事は本当に素晴らしいと思った。患者の気持ちが手に取るように分かるようになった。だから、少しでも良い医師になりたいと心から思った。研究のための研究でなく、本当に医学に貢献するような研究をし、また、社会に貢献するような仕事をしたいと思った。今までの自分の生き方を恥じ、神からの贈り物のようなこの奇跡に感謝した。

威風堂々と生きたいと思った。

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この当時もブログや本を出すことも考えましたが、まだ再発する可能性は否定できなかったので、控えておきました。

今後は発症時から、具体的にどのようなことがあり、どのように対応したか、何を考えたか等、を経時的に書いていきたいと思います。