時を少し戻したいと思う。

 

癌の告知以降、逆行性健忘症で暫く記憶がなくなってしまったが、その後毎日のように、家内と今までの思い出の場所をドライブで廻った。新婚当時に住んでいたマンション、子供たちをよく連れて行った公園、近場にあるお気に入りの温泉等々。

そうする間に、少しショックから立ち直るようになってきて、自分が死ぬまでにやらなければならないこと、やり残したこと、やりたかったこと、を考えるようになった。

 

自分の専門領域の病気を父が患っていたが、慢性疾患で比較的軽症であったため、手術をせずにそのままにしていた。本音を言うと、忙しさにかまけていたところも多分にあった。身内である甘えだったのだろう、父には申し訳ないことをしていたと思う。だが、自分にはもう時間がないことを知り、一番最初に思いついたやらなければならないこと、それが父の手術であった。

 

父に「やっと手術ができるようになったよ」と声をかけた。もちろん、自分の癌については言わずにである。

いずれ、年老いた両親に自分の癌のこと、極めて予後不良であることを言わなければならないことは分かっていたが、その時の両親の心中を察すると心が重く、沈鬱になった。

 

年齢的にも一番脂ののった時期で、それなりの立場にいたため、組織に自分の病気が分かった時の影響力が大きいのは分かっていた。そのため、医局員のごく一部にのみ病状を知らせて、短期の休暇をとっていた。それから復帰して、いきなり父親の手術をねじ込んだため、やはり医局の中はざわついてしまったようだった。

 

父の手術が私の最後の手術となった。もちろん、現在は別の病院で復帰しているので、正確にいうと当時の病院での最後ということになるが、その時は「これが最期」と思っていた。

 

 

 

 

父の手術を無事終えたあと、誰もいなくなるまで手術室に残った。

様々な場面と患者さんの顔が頭の中を去来した。

 

自然と涙がこぼれた。

 

手術室に向けて一礼をし、その場に別れを告げた。

 

 

 

 

その父が先日逝ってしまった。父より先に死ぬ親不孝はせずに済んだが、親孝行ができたか、未だに分からない。

 

 

じわじわとくる喪失感が今は大きい。