ジェットコースターのように急激に状況が悪化する中、某有名癌治療専門の病院を受診した。

 

それは焦りとともにあった。

 

主治医となってくれた先生に手術をお願いした。かなり厳しい状況であることを分かってくれた上で、どうするか再度聞かれた。「日本一と思っているので、よろしくお願い致します。」と答えた。

 

私の状況は、正直普通のガイドラインに則って理路整然と進めるには、あまりにも不利であった。このままガイドラインに従って行っていけば、副作用に苦しみながらも化学療法を3rd lineまで行い、効く薬がなくなった後、緩和療法に移行し、最終的には医療の目的は、痛みを制御し、体力を温存しながら、できる限り安楽な死を迎える準備を整えることになる。最終的なことは明文化されていないが、、死に向かって一直線のStoryがあるのが明らかだった。病状からすれば、致し方ないことであるが、「しょうがないね」で済ませるには、正直私は若すぎた。「この野郎、今くたばってなるものか」と歯ぎしりしながら、やらなければならない、使命のようなものに取りつかれている気分であり、何とかこの状況を打開したい、という熱を持っていた。この熱が高かったのが、今でもまだ生き延びていることにつながっているのでは、と正直なところ思っている。おそらくこの熱とそれまで得た医学的客観的知識がなければ、そのまま数ヶ月で死んでいたと思う。

 

人生は、人の命においても、やはりやり遂げようとするその強い意志と熱、つまり気概で動かすことが可能であると今でも思っている。