「・・・・、った」
ふわりと鼻につく、甘い匂い
それは、ついこの間庭先で摘んだ金木犀の匂いだった
今年も、綺麗に花をつけていたもので、
どうしようかと思いながらも、勝手ながらとってきたものである
それに手中に収め、とって捨てるのもどうかと思い、
先日、真新しい花瓶に生けて、この隊首室に飾っておいたのだ
だが、隊長がこの部屋に頻繁に出入りすることは少なく、
来てみても、そこには寂しい椅子と抜け殻があるだけだ
一体、いつから副官の仕事には、隊長の世話という項目が入ったのだろう
実際、他の隊の隊長といえば、
しっかりしていて、頼りになるし、デスクワークだって真面目に出来る
とはいうものの、この三番隊隊長とて、しっかりしていないわけでもないし、
頼りにならない、などは最早愚問に等しかった
ただ、何を考えているのか判らないのだ
いつも飄々としているその面影に、真意を読み取ることなど不可能だ
気がつけばふらっといなくなっているし、
気がつけばふらっとかえってきている
あの人は、一体何がしたいのだろう
無論そんなこと、副官の自分が知る由もなく、
今日も提出期限間近に迫った書類を取りに来たのだ
本来、副官である自分は出来上がった書類を隊長に渡せばそれで済むのだが、
何故だが、自分は今、出来上がっていない、しかも隊長宛てに届いた書類を
わざわざ取りに来ている
机の上に乱雑に置かれっ放しの小さな紙の山を、崩さないようそっと掻き分ける
上の方に記された提出期限は、どれも危ういものばかりだ
小さな溜息を吐くと同時に、オレンジ色に染まりつつある空をちろりと見上げた
「・・・・、った」
瞬間、指先に小さな痛みが走り、さっと手元に視線を落とす
決して健康とは思いがたい自分の指先が、じんわりと赤くなるのがみえた
どうやら、持っていた書類で指を切ったらしい、なるほど痛いわけだ
またも深い溜息が口をついて出る
「嗚呼、こんなとこおったん」
不意に掛かった、背筋の凍るような声音に、一瞬肩がびくりと震えた
振り返らなくても判る声音と方言
「・・・市丸隊長」
「そない残念そうな顔せんくてもええやろ、イヅル」
彼は首を傾げると、いつもの笑顔とは言いがたい笑顔をこちらに向けた
「・・・申し訳ありません隊長。もとよりこのような顔でして」
言うと彼は可笑しそうに笑った
嗚呼、本当によく判らない人だな、この人は
ひらりと足音もなく歩く彼を、なんとなくただぼんやりと見つめた
「何、また仕事?」
思いのほか近くで発せられた声に、内心驚きつつも頷く
「ほんま仕事好きやな、君は」
「別に好きなわけではありません。隊長がして下さると、正直もの凄く楽です」
さらりと顔色変えずに言うと、またも彼は可笑しげに笑う
「正直言うイヅルのところ、ボク好きやで」
「またご冗談を」
彼はふっと笑うと、踵を返すかの如く自分に背を向ける
「もう、行かれるのですか?」
先ほど帰ってこられたばかりなのにー・・・
正直言うと、まだここに居て欲しいと思っていたところだ
だが、こんな正直、隊長であるこの人に言えるはずがなかった
「まあ。ちょっとした散歩や。
すぐ戻ってくる」
彼は少しこちらに視線を戻し、歩き出す
そのとき、またも指先に痛みを覚えた
二度も同じことを切るなど、ありえないだろと、光の速さと考えをめぐらせたが、
答えよりも先に目線がそちらに映る
そこには、なんとも白く綺麗な細い市丸の指が掠っていた
驚きつつも顔をあげる
「・・・・・・・、隊長?」
彼はもうこちらをふり向いたりせず、
ひたと歩き出す
一体、なんのつもりだったのだろう
偶然掠ってしまいましたなどということが、あの人にあるはずがない
そう思いつつも、だんだんと遠ざかる三の文字を目で追っていると、
市丸はいきなり口と開いた
「ボク、イヅルの素直なとこ好きなんやけど」
くすりと笑い声を残し、
彼は金木犀の香り漂うその部屋を後にした
全く、意地悪な人だと、
今更ながら何度も実感する
知っているのなら、少しくらい、僕に時間をくれたっていいのに
もう少しくらい、お傍にいさせてくれたっていいのに
全く意地悪な人だ
それでも僕は、
そんな意地の悪い彼に、もう疾うに魅せられている
< E N D >
ギンとイヅル
嗚呼、激しく文才が欲しい
なんでこんなに物語をつくる能がないんでしょう...?
もっと上手につくれたらいいのに。