はじまり70釈迦.キリスト.科学2 この驚異的な話を、あなたは理解できるだろうか!無は、三作用でできている!
はい どうもこんにちは
今回もですね、無についてですね、はい お話しします
感度の高い人であればですね、この世界はですね、本質的には何もない無であるということが分かっていると思いますけど
で一体何でこの無の中にですね、この宇宙が生まれたのかっていうのをみんな考えてるわけですね、はい
この無っていうもの自体がですね、それはですね、無っていうもの自体が、自らを精神という性質に変えて そして思考というものを生み出しました
自分が何で無なのかを思い出すためにですね はい
つまりですね、無っていうのはですね、この思考の集合体が無っていうことになります
思考の集合体が無っていうことなんですね
自分が何で無なのか、思い出そうと思考を発して その思考の集合体が無になりますと
でこれで思考っていうのはですね、本体の無が結局自分が無だということを思い出すための思念ですね、はい
でそのですね、一つ一つのですね、思念の中にはですね、その中にですね 映像化して形になった生命たちから見ると、その思念はですね、空間的な広がりとして 体験できます、はい
でその空間的な広がりがですね、さらにですね、その中には時間という流れをですね体験することができます
その中にいる、生きてる人たちはですね
そうするとですね、その中にストーリーが生まれますね はい
でそのストーリーはですね、全部ですね要するに本体の無がですね
なんで自分は無になったんだろう、っていうですね、それを思い出すためのストーリーでできてますと はい
この世界もですね、一つ一つのキャラクターがいて 本質にある無がですね、そのキャラクターを通してですね、なんで自分は無になったんだろうっていうことをですね、思い出すっていう役割を持ってますけど
この世界の人間たちはですね そんなこと完全に忘れてますね、はい
ですけどこの世界はですね、この無のですね、自分は何か思い出すっていうですね、その目的のために存在しているので それをですね、無のために果たしてあげることがですね
仏法って言いますね、はい
でそれは無の過去世になってあげるっていうことですね はい
でそれは解脱してあげるっていうことで
であなたが解脱すると、本質にある無が、あそっか 自分は昔人間だったけど、解脱して無になったんだっていうことを思い出すあなたは過去世になってあげた、ってことなんで、
それがですね、ですから 神への献身とかですね、御国の義、正義と義であるとか、そういうふうになります、はい
これを正定聚とか 仏教では言われてます
お釈迦様は、ですからなんで解脱することがですね、大切かっていうのはですね、これで分かったと思います
要するに、無が自分が無であるということを思い出すために思考が生まれて
その思考の中にいる、形になる世界の、住人の我々から見ると、その思念はですね、時間的な広がり、時空間的な広がり、そして時間的な流れとして、そしてストーリーとして体験できて
その中であなたが、解脱してあげると、本質や無が、あそっか僕は
過去に、人間だったんだけど、解脱してない解脱したから無になったんだな、っていうことを思い出す、その無の過去世になったりとかですね
つまり神の過去世になってあげるって事ですね、はい
ですからですね、生きとし生ける全ての者は、全て神であるとかっていうのは、ここから来てますね はい
でですこれで無の二つの作用が分かりましたと
で無はですね、三つの作用で出来てますと
でこの三つ目の作用っていうのはですね、今私のこの見ている、二つの作用を、悟ってしまう視点ですね、この視点を、悟りっていいますね、はい
この仕組みを悟ったことを悟りって言います
ですから悟った視点と、無は何で自分は無なんだろうっていうのを、思い出そうとして思考を生み出した 生み出して
そしてその中に、時間と空間の中に、人間という生命になって、思考の中に、生きてると
で自分は無だと思い出そうとする、その過去世になってあげようとする
この三つの視点があるわけですね、はい
これをですね、お釈迦様ですね仏法僧は三位一体の無であると、こういう ふうに言いましたと
でですね法華経のですね、如来寿量品の中にですね、今言ったことをですね、これがですね仏教の核心的な部分なんですけど、15章の如来寿量品がこれを言ってることになりますと
で如来はですね 空間の中にいる凡夫たちが見るような仕方でこの無の中にある、三作用、つまり三界を見るのではない
- 如来は実に正直にありのままに直証するという性質があるものであって いささかも見誤ることもなく 真理のみを見ると
つまりこの三作用があって、本質的な無が自分が無であるということを思い出そうとする世界が、無限の思考であると
そしてそれぞれの世界において それぞれ異なる如来として、自分それぞれの如来としての名前を持って、それぞれの世界において、それぞれの仕方で、衆生たちを教えを説いて 解脱させて、そしてこのここを満足させるのであると、はい
そしてさらにはですね、この無にさらに、もう一回ビッグバンを起こして、思考を無限に起こして、その世界の中でも、生きとし生ける者全てを解脱させて、無の過去世にしてあげなさいと、
それが永遠無限の生きとし生ける者たちが、すべてが無の過去世になってあげるっていう、最大の神への献身、仏法であると
こういう視点からですね、釈迦っていうのはですね
この三界、この世界の中に降りてきて
このニつの作用、三作用を悟って、そして解脱してない弟子たちを、声聞にして、弟子にして解脱させて、無の過去世を作ってあげたと
で無になった弟子たちを、さらにビッグバンを起こして他の世界でもこれ広めて、無の過去世をもっといっぱい作ってあげなさいっていうことで
それをこの無に対する献身、神への献身
キリスト的に言うと、
御国とその義のために生きよっていう、そうすれば着るものや、食べ物、必要なものなんか、付け足して、有り余るほど与えられるであろうっていう
この法則に従えばですね、はい
ですからですね、普通の解脱してない人たちが、解脱するってことは、無の過去世になってあげることなので、これがこの思考の中にある我々の世界もそうですけど、ストーリーの基幹になってますと、根底にありますと、はい
でそれを教えてくれるのがですね 如来ですね、はい
で如来の視点っていうのはですね
さらにそれを二つを悟った、悟った視点ってのがありますと
でこの三作用が、無であると
つまり如来の視点っていうのは、この三つの視点を超えた、無を超えたところにあるのが如来の視点
もうそれは何もないんだよっていう
これが如来の悟りですね、はい
如来は三界を如実に見るのだと
それは実は何も起こってないんだと
無なんだと
だけど無っていうのは、実はこの悟りと、自分は何かって、問いを発する、そして無限の世界を生み出して納得してしまうっていう
この三つの作用があると
これを三界って言うと、はい
要するに無っていうのはですね、何もないだけじゃ存在しえないで、この三作用によって、無が存在しているということを、悟ったのが、人間の世界に下りてきた、如来の悟りであると
でこの悟りに沿って、弟子を取って 解脱してない者たちを、解脱させて、そして無の過去世にしてあげると
でその他に如来と縁を持ってない人たちを、托鉢したり いろんな形で縁を持たせてあげると
ところがこの、その世界はだいたいインチキ宗教だとか、物欲にまみれた独裁者とかそんなものが狂ってのがいっぱいいるんで
その中からでも、縁のあるものを集めて弟子にして、解脱させてあげるのが如来として大変な作業なんで、悟りを開いた後も、釈迦やキリストはどうしようか迷いますね、この作業をするかどうか、はい
これが如来がですね
解脱した後も、考えることですね、はい 以上ですね
三作用で無ができてて、その作用の無を悟ることが、3次元世界に降りて来た、如来の悟り
お釈迦様は、ブッダガヤーでそれを悟ったと
でイエスはヒマラヤでそれを悟ったと
イエスなんか殺されて生き返るところを見せてこれをやるっていう設定とシナリオがあったんで、ぶっ飛んでしまったと、はい
ですけどやってくれましたと
もうお釈迦様もですね、インチキ宗教、六師外道とかいうね、そんな変なのがいっぱいいたんで当時のインドもですね、やろうかどうか迷ったけど、やってくれたと はい
そのためにですね、お釈迦様、キリストを発祥とする文明が生まれて時間の流れが生まれて その中に我々が生まれたわけですね、はい
こういう仕組みになってます、はい
分かったでしょうか、どうも今日はここまでです、どうも



















































