今回は、わたし自身のペットロスの経験をお話しします。
先住犬のこと
2019年7月27日——わたしの誕生日の、ちょうど5日後のことでした。
先住犬だった子が、突然いなくなりました。
「なんとなく具合が悪そう」と感じて病院に連れていってから、わずか2時間後のことでした。8歳でした。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。7年経った今も、あまり思い出したくないほど——それだけ突然で、心の準備なんてまったくできていませんでした。
当時わたしはアメリカの大学に通っていて、夏休みで日本に帰省していました。先住犬が亡くなってから、自分でもびっくりするくらい気持ちが悪くなって、吐いてしまいました。食べ物もほとんど食べられなくなりました。
そして亡くなってからわずか1ヶ月後、気持ちの整理もついていないままアメリカに戻らなければなりませんでした。戻ってから、いつも以上に自分を忙しくして——気づいたとき、ストレスで右耳が突発性難聴になっていました。今はだいぶよくなりましたが、体調が悪いときや天候の変化で、今でも聞こえにくくなることがあります。
からだは正直でした。悲しみを言葉にできなかった分、からだが全部引き受けてしまっていたのだと思います。
先住犬の「お姉ちゃん」のように慕っていた2番目の子も、先住犬がいなくなってから鬱っぽくなってしまいました。あんなにおてんばさんだったのに、気力も元気もずっとなくなって——動物も、グリーフを経験するのだと、あのときからだで知りました。
こころがついてこなくても、からだは正直だ
悲しみは、気持ちの問題だけではありません。
「まだ実感がない」「涙も出ない」「普通に過ごしている」
——そう感じていても、からだはちゃんとストレスを受けています。
先住犬を失ったとき、わたしがそうでした。気持ちの整理がつく前に、からだが先に限界を迎えていた。吐き気、食欲不振、そして突発性難聴——こころが悲しみを処理しきれないとき、からだがその分を引き受けてしまうのです。
家族の一員を失うということは、生活の中の「当たり前」がすべて変わることでもあります。毎朝迎えてくれた存在がいない。帰宅しても出迎えてくれない。その「空白」が、じわじわとこころとからだを蝕んでいきます。
「悲しくないのに、体調が悪い」——それは悲しみがないのではなく、からだがあなたの代わりに悲しんでいるサインかもしれません。
2番目の子のこと
2番目の子は、2024年10月19日に、13歳4ヶ月で虹の橋を渡りました。
小さい頃からてんかんをはじめ、たくさんの病気を抱えていたルナ。でも最後まで、一緒にいさせてくれました。
その年の7月、突然立ち上がれなくなりました。そこからの2ヶ月間、母とわたしが交互に介護をしました。おむつを替えて、お水とごはんをあげて、褥瘡ができないように体位変換して——。
足先がとても冷たくなっていたから、足先から身体、頭へと、わたしなりのタクティール®ケアを毎日続けました。ゆっくり、丁寧に、「ここにいるよ」を伝えながら。
9月、自分で歩けるようになりました。
そして10月、虹の橋を渡りました。
先住犬のときのような突然の別れではなく、最後の時間を一緒に過ごせた。介護もできた。だから先住犬のときほどのダメージはないけれど——それでも、いなくなった今も、寂しいです。ふとした瞬間に、2番目の子のことを思い出します。
話せる場所があったから、救われた
先住犬を失ってアメリカに戻ったとき、わたしは大学のカウンセリングサービスを利用しました。
話を聞いてもらえる場所があった。理解してもらえる場所があった。尊重してもらえる場所があった——それだけで、どれだけ救われたかわかりません。
アメリカはペットロスへの理解が深く、「たかがペット」という空気はあまりありませんでした。
友人たちも、ペットを飼った経験がある子が多くて、気持ちを共有できました。
でも、日本ではなかなかそうはいきません。ペットロスで悲しんでいることを、自ら進んで話せる人は少ない。「また大げさだと思われるかな」「理解してもらえないかな」と感じて、心の中にしまってしまう——そういう方が多いのではないかと思っています。
「話せる場所がある」ということが、どれだけ人の心を支えるか——わたしはあのとき、からだで知りました。
「わかってもらえない悲しみ」を知っているから
先住犬を失ったとき、周りに「たかがペットでしょ」という空気を感じることがありました。
でも、わたしにとって「たかがペット」ではありませんでした。家族でした。その喪失の痛みは、誰かに測られるものではありません。
ペットロスは「社会的に認知されにくい悲嘆(ディスエンフランチャイズド・グリーフ)」とされ、悲しみを表現する場を失い、孤立感が深まるケースが多く見られます。
悲しんでいいのに、悲しめない。泣いていいのに、泣けない——そういった孤立した悲しみを、わたしは身をもって知っています。
グリーフケアとタクティール®ケア
グリーフケアとは、死別などによる深い悲しみを癒すためのケアです。その人へさりげなく寄り添い、ありのままを受け入れ、立ち直ることができるようサポートします。
グリーフケアに必要なのは、「正しいアドバイス」ではありません。「早く立ち直りなさい」という言葉でもありません。
ただ、そばにいること。ありのままを受け入れること。「あなたの悲しみは本物だ」と認めること——それだけでいい。
タクティール®ケアは、言葉を必要としないケアです。ゆっくりとした触れ方が「ここにいるよ」を伝え、オキシトシンが分泌され、孤立したこころに「ひとりじゃない」という感覚を届けていきます。
悲しみの中にいるとき、からだは消耗しています。食べられない、眠れない、気力がわかない——そういった状態のからだを、内側から整えていくことが、グリーフからの回復の土台になります。
Placidaが、あなたのそばに
ペットロスで悲しんでいる方へ——Placidaは、あなたの悲しみを「たかが」と思いません。
わたし自身がふたりを失い、その悲しみの深さを知っているから。突然の別れの衝撃も、最後の時間を共に過ごした切なさも、どちらも経験しているから。
言葉にしなくていいです。泣いてもいいです。ただ、そこにいていい——。
タクティール®ケアを通じて「安心・安全」を届けながら、経験者として気持ちを共有できる場所でありたいと思っています。ペットロスの悲しみを抱えている方に、Placidaがそういう場所になれたなら、うれしいです。
ふたりのことが、この記事を書かせてくれました🌈
次回からは、新しいシリーズを書いていこうと思います!お楽しみに♪
