眠らない事には自信があった。
短い睡眠時間で過ごす毎日を五年続けている自負があった。
徹夜にも慣れていた。
けれども、彼女、国木田独子も負けていなかった。
彼女は人の命を預かっている使命感で夜勤を勤め上げる。
そうした目的意識で覚醒する脳は、確実に他と一線を隔する。
こう書けば高尚なディスカッションが行われた夜だったように見えるが、実際は互いに確認をする作業だった。
僕と言う人間と国木田独子という人間。
おぼろげに感じていた共感が、どこから来て、それは本物であるのかを確認する作業だった。
これまたずるい書き方をしたが、なんのことはない。
「部屋にあったパンフレットに反応してたでしょ?もしかして好き?」
「石橋さんが『鍋一人で食っても旨くないだろ』ってシーンが大好き」
同じ映画の同じシーンが好きだと確認する。
「あの漫画が好きなのって、出てくる人がみんな誠実な理想郷だからじゃない?」
「あの世界を描く人がいるってだけで仲間がいるみたいで安心する!」
同じ漫画の同じ要素にひかれていると確認する。
あの本の作者って、あの人の思想って、あの小説の主人公って。
「あんなに何もない部屋だったのに、こんな沢山のお話になる物が沢山あったんだね!」
「うちもあんな感じって言ったら失礼だけど、見た瞬間に仲間を見つけたような錯覚があったよ」
「わたしはわたしより生きるのが辛そうな人って初めて見たから申し訳ないけど嬉しかったの」
「僕は夢みたいだと思った!こんな人が現実にいるだなんて」
そうして探り合いが終わってしまえば、あまりにも近い器に同じ物を溜めた二人だとお互いに確信した。
それと同時に安心してしまい、それからは済し崩し的に距離を縮めるだけだった。
僕はそれで良いと思っていたし、国木田独子も僕の部屋で眠る際、自分の部屋のようで落ち着くと笑っていた。
翌朝。
驚かれて、同時に叱られてしまう。
「学生!?片手間で引越し屋さん!?」
「引越し屋じゃなくて運送屋が本業…いや本業は学生なんだけど、上手く説明するの難しい」
「どっちにしても大変じゃない。体壊さないの?」
「たまに壊すけど慣れたし必要な事だから」
僕は少しだけ俯いた。
国木田独子とは対等でいたかった。
こうした生活の違いで優劣などつけたくはなかったのだ。
国木田独子もまた、こうした暮らしをする僕に対して後ろめたい感情を持つのではないかと、それだけが恐ろしかったのだ。
「わたしは二年だったから続けられたけど、だいがくは四年あるんでしょ?」
顔を上げると国木田独子がしたり顔で笑っていた。
「いま考えてたこと分かるよ。わたしも一人だし、それで負けるもんかって頑張るところもあるし。だからいまの分かってると思う」
「うん、当たり。それと先に言わせてごめんなさい。僕も一人な感じ、ずっと前から」
そこで根底で燻っていた共感の元素を見つけた気分だった。
その瞬間から二人の時間が流れ始める。
優劣はつかなかったが、関係は年齢に見合った物になった。
ほんの少し後ろにいる僕と、ほんの少し先で立ち止まっている国木田独子。
「ところでだいがくは何時からなの?」
「今日は休む。もっと一緒にいたいし」
「ダメ!そういうのが一番ダメ!わかるでしょ?」
「うん、怒ってくれてありがとう。もう君だけいればいいって思ってた」
本音だったのが伝わったのだろう。
嬉しそうに、けれども残念そうに国木田独子は話を区切った。
「わたしは今日からこの部屋に帰ってくるから」
帰ってくる。
帰る場所。
僕達のような人間が本当に欲しい物。
それを僕の部屋だと言った国木田独子に、もう一度彼女だけがいればいいと思ってしまった。
促されるまでもなく、そのまま二人で朝食を作り、僕は大学へ向かい、彼女は職場に向かい部屋を出た。
僕は浮かれていた。
まるで幻想のような話だ。
まさか同類がいて、それが異性で、しかも恋に落ちてしまい、受け入れて貰えるなんて。
国木田独子もこの気持ちを味わった事があるのだろう。
だから僕を諌めたのだ。
何もかも放り出して心地良い関係に浸る事は、恐らく悲しい結果しか生まないのだ。
そんな気持ちを先に通過した国木田独子と、その相手に嫉妬をしながらも心躍っていた。
それから国木田独子と僕の暮らしが始まった。
国木田独子は、その日だけだからと念を押しながら、早退届けを初めて書いたと告げた。
夕食の支度がしてあり、大きなバックに当面の生活用品が詰められていた。
わたしだって一緒にいたいし、わたしのほうがドキドキしている。
そう言って赤い顔を伏せた。
こんなに幸せな気持ちが、これからずっと続くんだと思うと、気が狂いそうになった。
幸せで身を持ち崩すなんて自分には無関係だと思っていたからだ。
ただ、そうはならなかった。
国木田独子は恋に落ちながらも、数年分やはり大人だったからだ。
あれこれと理由をつけて、ただ二人で生きる為の生活に切り替えようとする僕を、その都度しっかりと目を合わせながら叱るのだ。
そして、とてもとても幸せな時間が続いた。