刑事になんてなる物じゃない。
知らなくて良い世界を見る事になるからだ。
切っ掛けはテレビドラマの刑事物。
面映い憧れが動機だった。
現実の刑事は違った。
決められたマニュアルから外れないよう、輪転機のごとく同じ書類を量産するだけ。
安全性を重視して、複数人での行動を厳守。
憧れた世界とは、まったく違った世界だった。
それにも慣れた。
けれども、こんな現場に立ち合うたび。
ほんの少しだけ後悔してしまう。
こんな世界を見ずに済んだのでは無いだろうか、と。
男の死因は凍死だった。
まだ、部屋には身を切るような冷気が充満していた。
鑑識の報告では、死後1週から3週間ほど経過しているそうだ。
死亡推定時刻に幅がありすぎるのだが、この状況では納得するしかない。
部屋の四隅に取り付けられたエアコン。
四つ全てが、同じ温度に設定されていた。
設定温度は16℃。
今はスゥイッチを切ってあるのだが、外にいる方が暖かいと感じる。
冬の始まりを感じる時期だが外は快晴なのだ。
六畳のワンルーム。
その中心にバスタブ。
バスルームから引き摺った後が、フローリングの床に刻まれていた。
凍死した男が、エアコンの取り付けが終わった後で、ここへ運んだのだろう。
バスタブの中には若い女性が浸かっていた。
上半身から下だけが水に浸かっている。
バスタブの水には、血液の凝固を防ぐ薬品が大量に混ぜられていた。
そして、自らの手首を切り裂き、その短い生涯を終えた、はずだった。
その傍らで凍死した男がいなければ。
二人は仲の良い友人だったらしい。
郵便ポストの上に、粘着テープで合鍵を隠してある事を、教える程度の信頼関係もあったそうだ。
「それを私が教えられたのは、彼女を抱いてから数週間後ですよ刑事さん、幼馴染より信頼されていなかったのです」
死んだ女性と恋人関係だった男は、自嘲するように笑いながら話していた。
彼は第一発見者でもある。
凍死した男。
彼は認めなかったのだ。
彼は幼馴染の死を認めなかった。
凍死した男が、初めに取った行動は、電気工事の依頼だった。
この六畳のワンルーム。
この部屋を冷蔵庫として機能させる為、四隅にエアコンを取り付けた。
そして二つの冷蔵庫が搬入されている。
冷蔵庫のドアは開けられたままだった。
女の死体を腐敗させたくなかったのだろう。
次に男は、バスタブの女の携帯電話を操作している。
送り先は女の関係者の総てだった。
一斉送信ではない。
相手によって口調を変える、絵文字を使わない、方言混じりの文体。
送信者、一人ひとりに対して、女が送るであろう文面を、正確に真似てメールを送っていた。
まるで、女が生きていれば、そう書いたであろう文面で、総ての関係者に当たり前の日常を送信していた。
もちろん返信もあった。
凍死した男は、それらにも丁寧に返事を書いていた。
送信者が別人だと、気付く者がいなかった。
誰一人。
恋愛関係にあった男でさえ、故郷から父が泊まりに来ていると言う理由で、直接のコンタクトを控えるようコントロールされている。
発見が遅れた原因の一つでもあるが、恋人の父親とは、男に取って恐ろしい存在だ。
職場には、一身上の都合で退職すると連絡があったそうだ。
それは行政書士の書いた、滅多にお目にかからない正式な退職届だった。
親しい同僚に、実は癌なのだとメールが送られていた。
それだけで職場から、細かな確認をされる危険も回避している。
凍死した男の労力には、何か言い知れぬ物を感じる。
それから凍死した男は、この場所で生活を始める。
よくあるミステリー調の怪談のように。
これらが現場で得た、目に見える事実だった。
こんな時、やはり刑事になった事を少しだけ後悔する。
知らなくて良い世界を見る事になるからだ。
考えなくとも良い事を考えてしまうからだ。
凍死した男は、恐らく女に、幼馴染以上の感情を抱いていたのだろう。
彼が故郷から東京に出て来た理由も、死んだ女を追っての事だろう。
陰に日向に見守る存在。
それが凍死した男の選んだ役割り。
死んだ女が主演する舞台での演者としての立ち位置。
恋愛関係にまで発展しなかった。
いや、発展させる勇気の無かった男の最大の愛情だったのだ。
女が上京して、半年も経たない頃。
男も上京していた。
都会に出た若者が、初めに挫ける時期としては、ありふれた期間だ。
凍死した男は、弱った彼女を支えた。
「夢があるなら負けちゃ駄目だよ、俺が応援してるから」
故郷からの思わぬ援軍に、死んだ女は奮い立つ。
なんとか立ち上がり、その際の困難を乗り越えた。
凍死した男は、それが嬉しかった。
ただ、幼い頃のように無邪気に笑う女が愛しかった。
それから数年。
女に恋人が出来、そして別れて。
その繰り返しのたびに、凍死した男は彼女を支えた。
本心から凍死した男は願っていたのだ。
彼女に幸せになって欲しいと。
そして、それを実現出来ない自分の無力も知っていた。
それが私には少し悲しかった。
時に父のように。
あるいは母性さえ発揮して。
凍死した男は、女の人生を支えた。
それと気付かれないように、そっとそっと触れるように。
女が死を選んだ時も、凍死した男にだけは連絡があった。
駆け付けた時には手遅れだった。
それから凍死した男の延命措置が開始された。
不器用で、とても手遅れな延命措置が。
彼女が生きていた時と同じように。
そっくり同じ生活サイクルを再現したのだ。
ゴミの分別の仕方から、夕食を作る時間、入浴する際の水音。
それらを再現する事で、周囲の目を欺いた。
それほどまで、熟知していたはずなのに。
そこまでに、女の事を理解しているつもりだったのに。
どうして、美由紀の死を止める事が出来なかったのだろう。
凍死した男の死体は、風邪薬を握っている。
あの環境では、軽い風邪でさえ死に直結する。
けれども、俺は死んだ事に後悔なんてない。
ふいに鳴った電話。
美由紀からだった。
「どうして私とコウちゃんは付き合えないの?」
いつものように涙を堪えた声だった。
「俺じゃ美由紀を幸せに出来ないよ、仕事だって死と隣り合わせだし」
これは嘘だった。
初めに愚痴をこぼしたように、実際のデカ仕事など、危険に合わないように注意する事が主題なのだ。
ドラマチックなアクションシーンなどに遭遇する事など皆無だ。
ただ、自信が無かった。
だから、何度か伝えられた美由紀の想いに応えられなかったのだ。
自分の気持ちも、美由紀の想いも、愛する人の死でさえも。
誤魔化し続けて来た。
それが招いた結末。
今、俺は死んでいるらしい。
いつまで見ていられるのか分からないが、しばらく美由紀の部屋を上から眺めている。
俺には愛だった。
愛のつもりでいた。
けれども、バタバタと動き回る元同僚達には、まったく別の何かに映っているようだ。
猟奇的な心中?
変質的なストーカー?
死体愛好者?
俺の愛だと感じていた行為は、こうも簡単に断じられてしまう物だったのか。
刑事になんてなる物じゃない。
知らなくて良い世界を見る事になるからだ。
すまない美由紀。
俺の愛は間違っていたのかも知れない。