人は時に残酷だ。
優しい顔して「心配」という言葉を持って、
今のままでいいん?これからどうするん?って
鋭い刃を突きつける。


悪気のない優しさに、どれだけの脅威があるのかさえ想像していないのだろう。


今のままではダメだと、解っている。


言うだけいって、手を差し伸べる図々しいやお節介さは皆無で。
又聞きの正確性のないコトだけを言って諭すだけ。
付き添って突破口を見出そうなんて意思もない、困り顔を見せる。
無責任すぎる。



思考と気持ちと体のバランスを保つ、試行錯誤、困難さに寄り添うことのない、他人事だから云えるんだな。
わたしの将来より、近しい立場故、自分やその家族に負担が及ばない安心を得るために「心配」を利用している。
積木崩しが過ぎる。


被害妄想が過ぎるって?


そうだね。


それだけ傷ついてきたコト、これまでのわたしが本当の「わたし」じゃないことを知ってしまったからかな。
本当の「わたし」の理解者がいないコトにも気づいちゃったからかな。


わたしが「わたし」を知るコトの必死さ、大変なコトなんて知りもしない。
わざわざ都度、宣言・説明しなきゃですか?


支離滅裂な自己主張をするのが「わたし」です!
相手に分かる主張・説明付けするのはわたしです!
人当たりは良さ気、真面目で内気なしっかり者がわたし。
超人見知りだけど好奇心旺盛で、こだわり強く没頭し過ぎるのが「わたし」。



幼い頃からわたしを知るその人は、気づかなかった…と。
我が子かわいさ当たり前を盾に、無関心を認めたも同然のリアクション。
「わたし」と会話をしたら、頭を抱えた。
常識を理解しながらも、その常識に疑問を持って、当たり前の概念の受け止め方の齟齬が、あまりにも大きくて多すぎたから。
必死な涙は、泣くなと即座に云われ。
冷静に伝えれば、分からないと云われ。
知ろうとしてくれる意思は、感じられない。
改めてショックを受けた。



落ち着きを取り戻してやっと次の一歩を…
そんな時に乱しにやってくるのだから、たちが悪い。
互いの年齢を出しては「心配」だから、だ。
要は、急かしているのだ。
おとなしいく、言うことを聞くわたしで居れば解決するのか。
どこに向かわせたいのか。
あぁ、自分たちに迷惑が罹らないならいいのか。
語らぬまま帰っていった。


そして翌朝、謝罪文面が送られてきた。
絵文字土下座に、いやなおもいさせて、とはなんだ?
結局のところ、深刻さは伝わらなかったらしい。


あなたの居なくなった後、どれだけ親を困らせたか。
出番が無ければ何より、お守りな処方薬を数年ぶりに服用せざるを得なかった。
…と知らせることを、わたしの罪悪感が止めていなければ、どんな謝罪があったんだろうか。