沖縄陸軍病院南風原壕群

 

昭和19年5月・熊本で第32軍の陸軍病院として編成

6月から那覇で活動を始めたが、

10月10日の空襲により施設が焼失

 

南風原文化センター

「屋外戦跡案内(ガイド付)」は

予約がいっぱいだったので独自で廻る予定でしたが、

予約者・ガイドの了解を得て一緒に廻れました

 

飯あげの道

この奥が壕のある黄金の森(くがにぬむり)

 

何度目かのうちなーぐち講座:

原則:a i u e o      koganenomori

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         a i u i u       kuganinumuri

 

 飯あげの道 は              ↑文化センターの下(西)

病院の炊事に使用された井戸から壕迄食事を運んだ坂道

陸軍病院は10・10空襲後、南風原国民学校校舎へ移転

 

頂上から入口?方面を写す

頂上には拝所(ウガンジョ)があって、

当時ここまでは石畳道があったそうです

 

陸軍病院豪址 入口が崩れている

黄金の森に約30の壕が掘られ、

陸軍病院は昭和20年3月頃これらの壕へ移った

 

生い茂るシダの下・クワズイモ

毒があるので名前の通り食えません

 

 

広池文吉以下、軍医、看護婦、衛生兵ら350人に加え、

3月24日には沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒

(ひめゆり学徒)

222人が教員18人に引率されて看護補助要員として動員された

 

出口?から写す

 

5月下旬、第32軍司令部は摩文仁へ撤退

陸軍病院も撤退命令が出され

その際、重症患者(推定2000人)に青酸カリが配られた

 

陸軍病院南風原壕群20号

ヘルメットを被り懐中電灯を携えて説明を受ける

 

ごめんなさい🙇

壕内は真っ暗で・・・

「なんか」おばけくん写っていたら怖いので写真なし

 

文化センターの復元壕内です

2016年8月

 

20号壕出口

突然ですがハッハッ

本日(撮影日とは違いますが)4月13日

なんと!

43年目?の結婚記念日です拍手ウインク

源太郎顔出しガーンガーン記念のツーショット!

ヘルメット持って((´∀`))ケラケラ

67歳と71歳

これからもよろしくお願いします🙇

以上

 

 

鎮魂

 

南風原壕群

第二次世界大戦後最初の文化財として登録

 

右端はボランティアガイドさん

ありがとうございましたm(__)m