鶏頭、酉歳のせいかどうか分かりませんが、過去は振り返りません。ってか、大体、常に新たに覚えること、やることが山程あって、脳ミソの履歴をどんどん削除しないと新しいことが入っていかないんですね。キャパオーバーでフリーズしちゃうから。ネガティブもやもや

 

んで、こっからちょっとスピになるけど、鶏頭、過去世もすっかり忘れてます。唯一、吉原の遊女で旦那と添い遂げられなかったのが心残りだったぐらい。それももう解決したからどうでも良いんだけど。

 

あと、あくまで推察なんだけど、大昔の中国、秦の始皇帝と徐福一族、あと秦氏の一族あたりとも関係があるんだろうなと思ったり。まあ、それも、今の人生とは関係ないのでやっぱりどうでも良いかな~凝視ダッシュ

 

んで、たまにブログに登場する魔女さん。彼女は記憶力が抜群で本当に子供の頃のことも細かく覚えてるんですよね。物持ちも良くて幼稚園の頃に使っていたニャロメのお財布とか未だに持ってて、断捨離したいけどコレは捨てられない~と言うから断捨離したいなら捨てろぃ!と説得したことがありました。驚きダッシュ

 

そんな魔女さんは過去世のことも良く覚えていて、この間、色々な過去を聞かせて貰いました。で、何となく感じたのは、魔女さんは男性としての過去が多かったのかな、と。

 

男性として何回も生をうけて、どの過去世も大変だけど楽しい人生だったんだなぁと感じました。一方、直近の女性として生きた過去は性奴隷として苦痛に満ちた人生だったらしい。だから、現世でも女性であることが苦痛だと言っていました。


でも、少しずつ女性であることを認め、カルマを解消しつつあります。今では、実は性奴隷というより滅ぼされた国の王女で滅ぼした国の王と結婚したけれど、プライドが邪魔をして性奴隷と同じだと憤っていたのだとか。

 

それってめっちゃ男のプライドだな、と。鳥頭が同じ状況になったら裏で男を操って国を混乱させ、母国の仇をとってやろう的な発想になるのだけれど。よだれ笑い


多分、魔女さんは、男性としての過去世が多くて女性としては上手く対応できないから、前世、今世と女性性を学ぶために女性として生まれてきたのかな。でも、前世では上手く対応できなかったので今世でも課題が残ってしまって頑張ってるんだなぁと思った次第です。

 

面白かったのが、ちょうど昨日、大野百合子氏の『日本の女神たちの言霊』という本が届いて、タイムリーにその事が書かれてました。以下抜粋です。

 

女性性と男性性は、今私たちがやどっている身体が女性か男性かとは関係ありません。電池のプラスとマイナスのように、エネルギーが違うだけです。

 

…と前置きをして、男性性は陽、父なる天、内側から外へ拡大しているエネルギー、魂、思考、積極性、自ら行動する感覚。一方の女性性は、陰、母なる大地、外側から内側に入るエネルギー、肉体と感情、潜在意識、受容、慈愛、ゆだねる感覚。とのこと。

 

バランスの取れた人は、どちらかに偏っているのではなく、必要に応じて男性性、女性性にフォーカスして力を発揮できる人だそうです。男性性50%、女性性50%という割合である必要はありません。普段、女性らしく大人しい人でも、いざという時は男性性の攻撃力が出て子供を守るとか、そういう人がバランスの取れている人だと思います。

 

そして、大野氏が沢山の人から相談を受けて気付いたことは、男性ばっかりの人生体験が多く、今世は女性の肉体に宿って女性性を学び完成させようと思っている人が多いのだとか。そういう女性は、十分男性をやりつくしているので周りの男性がふがいないと感じてしまい、結果、自分が相手をコントロールしたがったり、理想の男性像が高いので中々パートナーが出来ないらしい。


うわ、正に魔女さん!驚きガーン


個人的に、あくまで個人的に思うことですが、男性より女性の方が賢いです。男性はアホというか一面的で、力技で押しきるところがあります。一方の女性は多面的で、力では男性に勝てない分、頭脳というか戦略で勝負するところがあります。


女性性を学ぶというのは、男に従えとか、搾取される側でいろという意味ではなく、頭を使えという意味だと思うんですよね~物申すハッ受け取るものは受け取って、相手に気づかれないようコントロールしろ、と。(笑)


だって、太古の昔から女性の方が強かったんですよ。日本の神様で一番力があるのは天照皇大神様ですから。そのことを忘れている女性が多いのではないでしょうか。


というか、今の世の中、男性も女性も直接的な力を求め過ぎているのかもしれません。やられたらやり返す!は過去の愚策でしかなく、これからは、受け取ること、ゆだねることが重要になってくると思います。そして、それは人間関係だけでなく、全てに通じることです。


全ての動物、全ての植物を始めとする地球上にあるもの全てに対して、力尽くで奪う時代は終わったのです。これからは、女性の生き方、考え方が主流になっていきます。受容、慈愛、受け止める生き方。ふむ、だからこそ、女性性を学ぶために男性だった魂が女性として生まれてきているのかもしれません。


前回、土地神様が気枯れ(穢れ)していると書きましたが、なんでそう思ったかというと、最近、YouTubeやネットで怪談を漁っていて霊能者の方たちが土地神様に関する依頼が増えてると言ってらしたんですよね。


で、何年か前に『スズメの戸締まり』というアニメが流行りましたよね。鶏頭、観てないですが…ミテナイノニカクッテカ~滝汗ガーン


あれも、土地神様を訪れて宥める的な内容と聞いてますが、今の時期に出てきたのも関連があるのかな、と。


んで、ここまで書いて何もしないのもアレなので、多分、来年以降かな?今年は喪中なので自粛しないとダメなので、喪が明けたらご近所さんの神さまにご挨拶しに行こうと思います。


序でに、以前から考えていた無添加の食事も作ってお供えするつもりです。無添加の食事っていうのは、鶏頭、出来るだけ基本調味料(塩とか醤油とか)でご飯を作ってるし、ダシもちゃんと引いて料理してるんですが、それでも補助調味料のマヨネーズやケチャップなどは市販のものを使ってしまいます。これらも手作りしたいなぁと。


多分、もう少し家にいられる時間が増えるハズなので神さまにもお供えできるものを作っていきたいですね。ニコニコ飛び出すハート


幼少期から怪談を見たり聞いたりして、早半世紀…最近、ふと、思うことがあります。その昔の日本には、所謂、『拝み屋さん』的な存在があちこちにあって生活に溶け込んでいたんだろうな~っと。凝視ダッシュ


拝み屋さんというのは、所謂、沖縄のユタとか青森のイタコとか、そういう人たち。死者と生者、神様と人を繋ぐお役目の人たちです。なんとなく、沖縄と青森だけが特別なのかと思っていたのですが、怪談を沢山聞いていると、いやいや日本各地に普通にいたようです。


それぞれ名前が異なるので、便宜上、拝み屋さんとしますね。ニコニコ


拝み屋さんって、霊能力者とは少し違うと言うか…そもそも霊能者の定義が難しいのですが、あくまで鶏頭のイメージですが、神様や幽霊が見えて話が出来て、必要とあらば払える人が霊能者という感じです。


一方の拝み屋さん、つまりユタとかイタコって不思議なこと全般出来る人というイメージです。体に不調があるけど病気ではないという時に助けてくれる人というか、助言してくれる人。土地の相談や悩み相談とか、そういう何でも話せる人が昔の日本にはあちこちに居て、生活の中で当たり前に存在していたらしいんですよ。


例えば、赤ちゃんの癇の虫。これって、病気の一種とされているけど、昔は癇の虫を取ってくれる拝み屋さん的な人がいたらしいのです。糸みたいなのをピッと抜くと、途端に大人しくなったりよく眠るようになったりするんだとか。その癇の虫は、実際に細い白っぽい糸状のもので、うねうね動いて直ぐに消えてしまったそうです。


じゃあ、その虫を捕まえてみろ、捕まえられないならただの偶然、ペテンだ!と思われるかもしれないけれど、それで赤ちゃんが泣き止めば信じる信じない以前に親としては助かるので一定数の需要が生じるわけです。


そして、需要があれば、物理や科学の証明など何の意味もないわけで、神仏や妖怪、幽霊といった概念も日常生活に普通にあったのだと思います。


まあ、幽霊というよりご先祖様かな?基本的にご先祖様が守護霊として見守ってくださるケースが多いそうですが、何か起こった時に霊障が起きる→拝み屋さんにご先祖様のメッセージを伝えて貰う…という感じです。


こうした、沖縄のユタ的な存在は日本各地にあって、だからご先祖様がとても近い存在で、死後の世界も身近にあったようです。そして神仏を信じ、自然を崇めることが息をするように当たり前だったのです。


でも、現代社会では拝み屋さんの存在はなくなり、ご先祖様たち、神仏、ひいては自然をも切り離してしまった…それは結果的に自分の心も切り離してしまったことになるんだと思います。ただただ心がなく、物理的な充足だけ求めてしまうのが現代社会の『幸せ』になってしまったのだと思います。


でも、物理的な幸せは限界がないので、決して幸せには結び付かないのです。物理的な幸せを捨ててこそ本当の幸せを得られるのだけれど、そういった基本的なことさえ忘れてしまった。それは、ご先祖様、神仏、自然、そして心を切り捨ててしまったからに過ぎないのです。


他の記事を書いていたのですが、急遽、気づいたことがあったので忘れないうちに書いてます。煽りルンルン


以前から紹介している崔燎平氏の著書『運の本質』の中で氏の師匠が、お盆休みに海外へ旅行する多くの人たちのニュースを見て、日本はもう終わりだと言ったそうです。崔氏は、お盆やお彼岸はご先祖様たちと繋がれる大事な時期なのに疎かにしている…というような説明をしていましたが、鶏頭、実はその説明がピンと来なかったんですよ。


何故なら、お盆の時期は各地でバラバラだから。例えば、東京では新暦の7月がお盆だから8月はお盆じゃない…だから関係ないよね?ってことは、8月がお盆の人たちだけ海外旅行してる場合じゃないってこと?そもそもお盆に帰省できない人もいて、時期をずらして帰省すれば良いんじゃないの?と。


その問いがずっと頭の片隅にあったのですが、今日、ふと分かったので急遽、記事を書いている次第です。


そもそもお盆に海外旅行へ行く人というのは、恐らく、お盆以外にも帰省しないだろうということ。本を読んだ時、お盆の時期が違うとか、お盆以外でも帰省すれば良いじゃない~とか考えてましたが、そもそもお盆に海外旅行へ行く人は自由に長期休暇が取れない人であり、その長期休暇を海外旅行に当ててるのだからワザワザ別に休暇をとって帰省することはないってこと。


いや、絶対ではないですよ。ワザワザ休暇を取り直して帰省する人もいるかもしれないですが、割合としては少ないと思います。なので、お盆かどうかは関係なく、『帰省する人が減ったので日本は終わり』と考える方が納得なのです。で、その理由が分かったので、書いてみようと思います。


まず、お盆に帰省しないと日本が終わってしまう理由の1つは、ご先祖様と繋がれないということ。これは、前回、記事にしたようにお墓参りをすることで守護して下さっているご先祖様たちとの繋がりが強くなり、守られる力も強くなるから。同時に、お墓にもエネルギーが溜まるし、ご先祖様たちも生きている人たちと繋がることで供養というエネルギーを得られるからです。


日本人は無宗教と主張する人が多いですが、それでも先祖の供養はした方が良いとか言われると「まあ、ご先祖様を供養するくらいなら…」という人が多いのではないでしょうか?鶏頭、結局のところ日本人は『祖霊信仰』の信者というか、仏教も神道も元を糺せば祖霊信仰から派生しているのだと思っています。


日本で一番古い先祖供養は古墳時代だそうです。魂棚という高いところに花や食べ物をお供えしていた痕跡があるのだとか。そこから、やがては神さまが生まれ、仏教が伝来し、現代の日本の宗教を形作ったのだと思います。


神道というと死は穢れなので先祖供養と無関係に思えますが、日本の神様たちは親子であったり、姻戚関係があるんですよね。ってことは、神道でも親や祖父母、またその先祖の神を敬い、大切にするということです。先祖を祀る祖霊舎もありますしね。ま、まあ、神様同士では捨てちゃったり喧嘩しちゃったりとかしてますけども。驚きダッシュ


仏教もインドで生まれましたが、仏壇は日本にしかないのです。正確に言うとインドの仏壇は文字通り仏さまを祀る壇で、そこに先祖供養を混ぜ来んだのは日本だけなのです。


つまり、日本人のDNAには、先ずは先祖供養があり、先祖供養のために神仏が存在しているんですよね。故に、先祖供養を疎かにするということは、結果的に神仏も疎かにしていることになります。


で、お盆に帰省しないと日本が終わってしまう2つ目の理由は、土地神様の気が枯れてしまうことです。天照皇大神とか龍神さまとか、そんなメジャーな神様ではなく、土地神様です。大切なことなので、何度でも言いますが、土地の神様が気枯れ(穢れ)てしまうからだと思うんですよね。


かつての日本は、先祖代々、同じ土地に住み続けていました。その土地を守り、山の神様、海の神様、田の神様、川の神様、あらゆる神様たちを敬い、ご先祖様たちを崇めてきたことで、それぞれの土地(土地神様)が力を持っていたんですよね。


勿論、当時から江戸や大坂などの都会へ働きに出る若者もいて、でも盆暮れには帰省して神様たちを敬い、ご先祖様たちを崇めていましたし、都会に出ていって戻ってこない人はごく少数だったわけです。


ず~っとその形態を続けてきたのに、戦後、人口が爆発的に増え、都会に働き口が増えたことで徐々に田舎を捨て、都会に暮らす人たちが増えてきました。それでも、親が生きているうちは盆暮れに田舎へ帰り、ご先祖様たちの供養は続いていました。


そして、都会で暮らす世代が三世代、四世代になるともう田舎に直接の知り合いはいなくなり、ほぼ絶縁状態。先祖供養も疎かになり、帰省すること自体がなくなりつつあります。


勿論、お墓を都市部に移して供養している人も沢山いらっしゃると思いますが、それでも先祖代々の記憶はその土地や墓に残っているんですよね。厳密にいうと。


そして何より、土地神様の力というものは、人が来なくなったら消えてしまうんですよ。盆暮れだけでも人が戻ってくれば辛うじて土地神さまも存続できるのですが、盆暮れにすら戻ってこないとなれば、結局は、その土地は衰退していき、やがては消えてしまうんですね。


そんな大袈裟な~と思うかもしれませんが、2019年時点、全国で454の集落が10年以内に消滅する可能性があり、いずれは2,744の集落が消滅の可能性があるとされているんです。


実際、鶏頭は限界集落に住んでいるので肌で感じています。地元の人の話では、50年くらい前は30近くの集落があったのが、現在は8集落しかなく、うち2集落は住民が1人のみです。恐らく、20年後は2~3集落が残れば良い方です。


そして、各集落に土地神様は祀られておりますので、30柱近くあった土地神様が今は8柱しかいらっしゃらないのです。


この現象が日本全国で起きているのです。現在進行形で。人が土地を捨て、土地神様が力を失うとどうなるか。恐らくですが、自然に還るのだと思います。自然に還るなら良いことでは?と思うかもしれないけれど、自然は人間を忖度しません。神様ではないので守ったりもしないのです。


前回、祈り=感謝(エネルギー)が溢れること、と書いて終わってしまったけど、結局、それがどういう効果をもたらすのか言及出来ませんでした。スンマソン…驚きダッシュ


ええと、我が家には神棚はないですが、荒神さまと仏壇があります。近いうちに大黒さまと恵比寿さまもお祀りする予定。なので、毎日、神仏に水やお花などを捧げ、お祈りしてます。


今日も1日神様、仏様、ご先祖様たちのお陰で鶏頭と旦那とワンコが元気に暮らしていけます。ありがとうございます。感謝しています。


みたいな祈りですね。でまあ、ついでのオマケ的な感じで、今日、遠出する旦那が無事に帰ってきますように~とか、鶏頭の仕事が上手くいきますように~とか、こっそり叶いごともしたりしますが、メインは感謝を捧げることなんですよ。


感謝を捧げる、それが、祈るということなんです。


この時、ナニが起きるかと言いますと、神仏に祈り(感謝)を捧げることで、その場所が神聖な空間になるそうです。これは、宗教的な解釈で、祈りが神様や仏様、ご先祖さまへ届くので「この場所に祈る者がいる」と見守ってくださることで神聖な空間になるのだとか。


う~ん、今いちピンと来ないので、気功的な解釈をすると祈りはエネルギーなので祈りを重ねるごとに神棚や仏壇にエネルギーが蓄積されていくんですね。なので、エネルギーが貯まれば貯まるほど、そこはパワースポットになっていき、やがては、家全体に気が満ちていく…住んでる人たちもエネルギーを受けて元気になっていくという仕組み。


もしも、古くから続く神棚や仏壇、そしてお墓があるならとってもラッキーです。何故なら、親や祖父母、またその上の世代の祈りが蓄積されているからです。特に墓石はエネルギーを吸収しやすいので、何十年、何百年前のエネルギーでも持ち続けているんですよ。


本当のところ、これが墓参りに行った方が良いと言われる理由です。ご先祖さまたちのエネルギーを得ることが出来、また子供や孫にも自分のエネルギーを加えて渡すことが出来るパワースポット、それがお墓なんです。


勿論、ご先祖さまたちの供養という意味でもあるけど、ぶっちゃけ、供養だけなら仏壇でも良いわけですし、なんなら形にとらわれずに供養したいという気持ちだけでもOKなんです。


それを敢えて墓という物体を作って供養するのは仏壇より強力なパワースポットになるからです。だからこそ、怪談でよく聞きますよね?寝る時に魘されるので調べたら墓石が倒れていた!とか、墓でイタズラすると祟られた!とか。それは墓というか墓石に強いエネルギーが詰まっているからなんです。


因みに、日本では、ご先祖さまって父方と母方ありますが、圧倒的に父方の方が強い影響があります。良くも悪くも。これは、昔から続く男系優先の考え方が根強く浸透しているからです。特に女性は旦那さんの家に嫁ぐので、その瞬間から旦那さんのご先祖さまたちに守られるんだとか。子供が出来たら尚更、たとえ離婚しても旦那さんのご先祖さまたちの守護下にあって、決して実家のご先祖さまの守護下に戻ることはないそうです。


だから、旦那さんが嫌いで離婚しても、旦那さんのご先祖さまの墓参りに行くのがベストで、もし行けない事情があるなら心の中でも良いので祈りを捧げると、旦那さん側のご先祖さまたちのエネルギーを得ることが出来るのだそうです。


これは、昔からの日本人のDNAに刻み込まれた決まりごとなので、どうしてもそうなってしまうんですね。鶏頭は嫁いだことがないので何とも言えませんが、一度は旦那さんの家族になったのだから旦那さんの家族が嫌いでも旦那さんの亡くなっているご先祖さまたちに罪はないし、旦那さんのご先祖さまたちがいたからこそ、自分の子供たちも元気で生きているのだと考えれば、そして、自分がご先祖さまたちに祈ることで子供たちにエネルギーが貰えるのなら安いものではないでしょうか。


余談ですが、鶏頭はご先祖さまたちに守られてるというか支えられているのをひしひしと感じます。いや、我が家の後始末をちゃんとやれよ~というプレッシャーも感じますけどね。(笑)


家は長く続いた家系なのでその分、エネルギー(というか念に近いかも…アセアセ)も強いんだろうな、と。そして、引っ越しやら何やらで墓石と仏壇が新しくなったので、蓄積されているエネルギーの質量は小さくなって後始末もしやすいという至れり尽くせりの守護になってます~本当に感謝感謝ですね!ニコニコ愛飛び出すハート