こんにちは。
マリー
です。
結局のところ、この子供が欲しくないが欲しいというどたばたは
なんだったのだろう、と考えていました
少し話がとびますが
私はしたいわけではないけれど、
周りが「したい」と言うから、
「した方があなたのためよ」と言うから
してきたことがそれなりにありました。
例えば成人してからのことだと
①成人式への参加
②結婚指輪を買うこと
③結婚式を開くこと
全部、自分ではしたいと思わなかったけれど
「した方がいいよ」「思い出になるよ」と言われてしたことでした。
しかし、今思い出しても、
・大変だったな
・お金を使わせてしまった
とまず思います。
これらのことは、やると選択した方が、親や親戚が喜ぶだろうと選択したことで
自分はしたいと思わなかったことです。
親の言うように、いつかしてよかったと思う日が来るのだろうか
と思っていましたが、いまだに来ていません。
来るはずがないのです。
したいと思っていなかったのだから。
私は遠慮で「したくない」と言っていたのではなく
本当に興味がなかったのです
勧められて行ったのは、勧めてきた相手を喜ばせることが目的でした。
勧められたからやっと希望を口に出せた、というわけではないのです。
勧められたから、この人はこうして欲しいんだな、と思って選択しただけのことでした。
案の定、勧めてきた人は喜びました。
ただそれだけでした。
私自身の喜びは、その事そのものについてはほぼほぼありません。
です。
だから、思い出として強く残っていないのでしょう 。
祝福してくれたことは素直に嬉しかったのですが、
勧めてきた人が喜んだ時点で、これらのことは自分のなかでは終わっているのです。
さて、
こどもについてはどうなんだ?
です。
どうなんですかね。
こどもは、いてもいなくてもいいのですが
できたらパートナーと親が喜ぶんだろうな、
というのが
ドタバタ前の私の本音でした
パートナーと親はこどもが欲しかったのです。
自分のことなのですが、私は正直どうでもよかったです。
妊活に積極的だったのも、こどもが欲しいのではなく
「はやく妊活をやめたかった」
という気持ちが大半でした。
あんなに熱心に調べて、パートナー
を病院に誘ったりしたのに
こども自体は嫌いではありません。
みていると面白いし、一緒に遊ぶのも楽しいです。
けれど、こどもを持つことと自分が産むことは
どうしてもイコールになりませんでした
一連の騒動があった今は下に書いていることが、素直な気持ちです。
ここまできてやっと
今後、こどもと一緒に生活をする人生を選択することが
「他人がして欲しがっているからすること」
から
「自分がしたいと思っているからすること」
になりました。